『革命者でいること』④無(死について) 河合統金先生作

 遠野中将でございます。
 あれから、信長殿は次々と攻勢に出る領国内の敵を、一つ一つ潰していかれました。清須(清洲)に入城し、尾張の公式な国主である守護の斯波義銀殿を尾張国の君主として擁立なされ、秩序を回復しようともなされたのでございます。ところが、ここで度肝を抜くような事件が起こってしまうのです。道三殿の、まさかの敗滅でございました。隣国美濃の混乱に乗じて、治まりかけていた尾張国内も、まるで蜂の巣をつついたような大混乱に陥ってしまうのです。その中でも、方々からそそのかされ、良からぬ野望を抱いて反旗をひるがえし、大きな勢力を持つに至ったのが、信長殿の実弟信行殿でございました。
     *     *     *
(1)
「上総介殿は確かに強い」
 先年今川方の村木城を攻めた際には、無理にごり押ししてやっと負かしたようなところがあったのだが、回を重ねるごとに徐々にコツをつかんできているようだ。馬廻り衆中心のわずか700の軍勢が、1500以上の柴田・林連合軍を追い崩したのも、上総介自身の強さがなければ、いくら先代の頃からの直属部隊が屈強の馬廻りぞろいでも無理であったろう。
 あるいは――、末森の城奥で柴田権六は思考をめぐらした。
「あるいは強くなったのやも知れん」
 柴田はもともと、ぐだぐだとだらしがなく、きっぱりとした態度をとらない上総介信長のことが好きではなかった。ほつれかけた茶筅結いとか緩んだ襟元とか両袖をはずした(武将としては)貧弱な上半身とか、とにかく“たるんでいる”様子がすべて気に食わなかった。「あんな男が強いはずがない」と、最初から決めてかかっているようなところがあった。だからここ末森の、弟信行公を押し立てたのだった。
 勘十郎信行は、ごくごく普通の人物であった。特に謀略に長けているわけでもなく、物腰はさわやかで、どちらかというと俗人のほうであった。俗人であったからこそ、林美作のおだてに乗り、斎藤義竜(父道三を敗滅させた)と組んだ岩倉の織田伊勢守(信安)のうまい話に乗せられてしまったのである。だが、当の本人は、十分その気になってしまっており、兄信長を殺しさえすればこの領土はすべて自分の物になるのだとすでに信じ込むに至っていた。

「俺は、血を分けた肉親を、また失わねばならないのか」
 褥(しとね)の上で看病されながら、上総介信長は気分が悪くてふくれっ面になっていた。もう10日も外に出ていないのだ。24歳の健全な男が一日中布団の上に寝かされているなんて、それだけでも気が狂ってしまいそうなくらいに、すべてが抑圧されている。早く外へ出たい。外へ出て思いきり馬を走らせたい…さまざまな欲求が爆発寸前まで高まっている上に、どうやって弟の息の根を止めるかについて、作戦を練らねばならない。
「あああ、もう我慢できないッ誰か人(薬師)を呼んでくれ!」
 こうして彼が暴れ始めると、襖(ふすま)がぱっと開いて常駐の小姓が急いで下人に指示を下す。
「早くお薬を!」
 バタバタと足音がして慌ただしく薬湯が持ち込まれると、信長は起き上がって器にかぶりつく。容態の悪化に、小姓たちが皆集められて近習以外の立ち入りが厳しく制限される。
 だが、どうも病室に入った小姓たちの様子が変である。そそくさと主人の布団を片付けてしまうと、なにやらふざけた話をし始めた。いつの間にやら信長を囲み、輪になって酒を酌み交わしている。
「今日の薬湯もうまい」
「はいッ。本日は珍味もご用意致しております」
 不治の病を装う信長の、唯一の楽しみであった。愉しい酒で一晩中飲み明かすと、昼間は(二日酔いのせいで)さも気分が悪そうに床(とこ)についているのだった。一人でいる間、彼はよく、死んだ肉親たちのことを思い出していた。横になっている時間が長いせいもあったが、弟をかつぎ上げた筆頭家老の林兄弟が、あんなにも簡単に、主君であったはずの自分に刃(やいば)を突き付けてくるのを見て、それを後ろで兄の死を待つかのごとく容認している弟を見て、肉親であるからこそ加わってくる残酷さのようなものをひしひしと感じていたのである。
――勘十郎は、もし俺と一騎打ちになったなら、兄を刺し殺すだけの勇気は持っていないだろう。だが、もしあの戦で俺が林美作にやられていたら、俺の首を見て奴はほくそ笑んだに違いない。
 別腹で同い年の喜蔵(信時)も、今回末森の柴田が清須の俺のほうへ寝返ったと同じような家臣の裏切りに遭い、切腹させられてしまった。
 同じく弟の中でも、喜六郎(秀孝)は叔父の一人に誤って殺されている。まだ16歳だった。16歳といえば、いまや今川義元に従うあの松平の子供も調度それくらいになっているはずだ。たったひとりでこの尾張に連れて来られた子供はまだ小さいくせに平然と独りで遊んでいて、妙に毅然としていたのを、よく覚えている。しゃがみ込んで、訊(き)いたことがある。
「父がいなくて、寂しくはないのか?」
「竹千代は、父の顔を覚えておりませぬ」
「ふーん」
 竹千代が人質に出されたのは6歳のときであったから、父広忠の顔を知らないはずはないのである。だが、帰りたいとか会いたいとか、そういうことはおくびにも出さなかった。幼い彼は、結局その後も父に会うことは二度となかった。今川方へ返される前に、広忠は殺されてしまっていたからだ。
 父が殺されるあるいは死ぬ――どういうわけか、この言葉は信長の心に痛烈な印象を与える。言いようのない哀切感と、自分が何もしてやれなかった(助けてやれなかった)という無力感が、ものすごい悔しさとなって彼を突き上げるのだった。
(2)
「父が死んだ」と聞いたとき、18歳の三郎信長は宙をにらんだまま、唇をきつくかんで涙をたらたらと流した。しばらくして唸るように言った。
「鉄砲衆を集めろ」
 三郎様の尋常ならぬすさまじい顔つきに佐脇はびっくりして、ほかの年長の小姓を呼びに走った。最も親しい間柄の者たちに向かっていきなり怒鳴った。
「……だまされたッ」
「俺はあいつらにだまされたんだッ」
 佐脇たちは一瞬顔を見合わせて言った。
「あの坊主どものことですか?」
 それには答えずに信長はまた怒鳴った。
「鉄砲衆を集めろ!俺が成敗してやる」
 親父はまだ42歳、体は頑丈で、病に倒れたことなど一度もなかった。それが突然寝たきりになって、生死の境をさまよっているというのである。死ぬなんて、まだ早すぎた。死なないでくれ。この世から親父が永遠に消えてしまうなんて、俺は絶対に嫌だった。
 町外れの小さなお堂にその坊主たちが押しこめられたのは、陽もだいぶ高くなった頃だった。障子で閉めきられた仏堂の中には5、6人の坊主が死の恐怖にさらされていた。鉄砲衆と朱武者(あかむしゃ)の小姓たちがその周りをぐるっと取り囲む。 「お前ら、よぉく聞け」
 信長が馬上から憎々しげに声を上げた。
「俺の親父は死んだ。俺はお前らに必死で頼んだはずだ、親父の命を助けてくれと。お前らは言った、『もちろんですとも。この仏さま(仏像)に祈祷いたせば、病気も必ず良くなります』……ッ、このほらふき野郎!!俺は死ぬなんて考えてもなかった。死に際にも立ち会えなかった。……俺の知らないうちに、親父は死んじまったんだッ」
 人の死は我々人間の手ではどうにもできないもの。仏僧たちは、まさかそんなことをとがめられるとは夢にも思っていなかっただろう、すっかり縮み上がって、口々に念仏を唱え始めた。
 たとえ一時的にでも仏に頼り、父がもう一度元気になることを期待していた信長は、みずからが仏を信じたことの馬鹿馬鹿しさと、父を急に失ったこととの二重のショックで、すっかり気が動転していた。鼻息も荒く大声で喚いた。
「お前ら!死にたくなけりゃ、そこの仏像にもっと拝めッ!もっと必死でお願いしてみろ。そんな木像が何もできねェことぐらい、俺が証明してやる」
「撃て!」
 銃声とともに、障子に飛び散る赤い血。僧たちは、誰一人助かることなく、皆死んでしまった。
 血まみれのお堂の中から、信長はそこに安置されていた木像やら石像やらを取り出させ、石像は石の上に力いっぱいたたきつけた。鈍い音を立てて割れた首がごろんと転がると、すかさず刀を抜いた。
「この野郎!」
 木像の首を打ち落とし、あっという間に左胸にも一突きして、仏像は粉々になった。(余談だが、このあとの父の葬儀で仏前に抹香を投げつけたのもその延長である。)
 偶像崇拝などして何になる。こんなものを作って何の意味があるというのか。こんな木像を拝めば願い事が叶うなどというのは、まったくの嘘、くだらない妄想にすぎない。俺は偶像など、信じない!!こんなものに俺は頼らない!そう呟くときの信長は、信じられないほどの強靭さを全身にみなぎらせた。人間は、釈迦の教えを偶像なしに信じることはできなかった。自身の中に眠る神性を、信じることができなかったからである。だから人は自分の外に神(仏)を置いた。そしてひたすら他力本願になっていった(阿弥陀仏に何でも乞い願うのである)。
 自分の力―自分の中の神―をこそ、信じて、苦境から立ち上がるべきであるのに。
――天下に武を布くに若くは莫し
(天下に武を広くゆきわたらせるほかない)
「そうだ、この道を、俺は選んだ」と信長は思った。自分の力を信じて、乱世の苦境から決起するのだ。
 まずはこの苦境を打開せねばならない。

 その日、勘十郎は柴田に付き添われて清須へやって来た。つい2年前、道三の子息斎藤義竜もまったく同じ手口で弟たちを殺害した。それは勘十郎ももちろん知っていた。だが彼は、目先の利に目がくらみ、兄が本当に瀕死ならばこのまますべてが自分のものになるという期待がふくらみにふくらんで、あらゆる不安を凌駕してしまったのである。
 勘十郎信行は、兄信長の死を、この目で確かめようとした。
 上総介信長は、弟勘十郎の不誠実をこの目で確かめようとした。
 顔をしかめて苦しそうに息をしている信長は、緊張のあまり全身が紅潮して汗を流していた。まるで高熱にうなされているかのようにぶつぶつ言っていた。
「わしは……もう治らん……もう終わりじゃ……もう治らん……」
 兄信長の意識はもうろうとしていて、勘十郎が部屋に入ってきたことすら分かっていない様子であった。
「兄上、お気を確かに」
と、口では言いながら、信行は兄が死ぬのを今か今かと待っていた。
 突然、信長が唸り声を上げて苦しみ始めた。なんとか息をしようと最期のあがきを試みているのだろう、しばらくしてついに、信長の動きが止まった。信行は、最期のもがきで兄が苦しげに投げ出し、ついに力尽きた左手首をとっさにつかんだ。死んだかどうかを確かめたいのである。必死に兄の脈を探している途中で、
「くわッ!!」
なぜか断末魔のうめきを上げたのは、兄ではなく、自分のほうであった。
「であえ、であえ!」
 信長の右手に握られた短刀から鮮血が飛び散ると同時に、控えていた馬廻り2人が襖を開けて飛び出し、勘十郎にとどめを刺した。
――あさましい。
 実弟の死に顔を見ながら、なぜこうも人は浅慮(あさはか)な思考に走りがちなのかと、信長は弟の愚行を嘆かずにはいられなかった。
 死とはむなしいものよ。死とは動かなくなること。それまでやってきたことが水の泡になること。今現在の“自分”という意識がなくなって、真っ暗で何も存在しない「無」の状態になること。どんなに優れた人間でも、死んでしまえば何の意味もなくなる。生きている間だけがすべてだ。だから俺は自分のやりたいことだけやる。全力を尽くして、自分のやりたいことだけやって、そして死ぬ。
 このまま理想を求めて戦い続ければ、いつか人々は、権力者たちの利己的な争いに巻き込まれずに、本当に幸せな生活を送ることができるようになるのだろうか……。
信長の顔から憂鬱のかげりが消えることはない。





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ここで、著者(河合統金)より少々お知らせがあります。
このたび、著者の多忙のため『革命者でいること』執筆を一時休止させていただいております。
つきましては、この、『革命者でいること』④の続編について、 この場を借りて、先の内容を少し書いておきたいと思います。
『革命者でいること』⑤情(この奇妙なるもの)
よしの(吉乃または吉野)との出会い/猿顔の男(藤吉)を知る/
よしのの出産時に産所前に立ち合う(奇妙丸の命名は
初めて見た赤ん坊を「奇妙だ」と言ったことから)/よしのの死
『   〃    』⑥命(しゃれこうべ)
お市を大変に可愛がっていたこと/絶対に大丈夫だと
高く買っていた長政への強い憤り/浅井・朝倉を破ったことの
重大な意味(首を薄濃にした理由)/お市との仲違い(「いくら
お前の子でもしめしが付かないから助けるわけにはいかない」
「お兄様はそんな冷酷な方ではなかったではありませんか!」)
『   〃    』⑦神(天主において)
手動式エレベーターのあった安土城天主/自身の中の神性を、
石や仏像などで表現し、それを祭った総見寺/そこに表われた
近代精神とその近代的意味/森乱法師(蘭丸)は外回り専門の
小姓で、身辺の世話をすることはあまりなかったことについて
『   〃    』⑧花(最終話)
日本人初の近代人と言われる彼の、“近代的でない”部分が
明智を謀反に踏み切らせた/黒幕は将軍と一部の公卿/
明智を追い詰めているつもりはなかった石見出雲への転地命令
(むしろ喜ばせるつもりだったのだが、明智はその真意を量りかね、
謀反の契機とした)