「大刑」第三話 刑部少輔@たか先生作

 こうして日はまたたく間に過ぎ、この北国にも遅い春が巡ってまいりました。日一日と暖かくなり、段々積もっていた雪が消えていく様を眺めておりますと、この陰鬱な城内にも冬のうちにはなかった明るさが芽生えて来る様でございました。
 そんなある日、私にも、一日だけお暇をいただき城下の実家に帰る事が許されました。お城から出るのは半年振りでございます。わずか一日ばかりの事とは申せ、このお休みは春の訪れと共に私の心を沸き立たせました。
 私は風呂敷包み一つをかたわらに、朝早くお城を発ちました。駕籠をつけてくれると言うのをたって断り、二足にて帰る事にいたしました。左様な物に揺られるよりも、春の風と城下のざわめきを身体に感じたかったのでございます。
 大手門をぬけ城下町をぬけ、私の家は町外れにありましたが、そんな距離も大して苦にはなりませんでした。緑を取り戻した木々を眺めているだけでも心楽しく、多分他から見たら私の足は跳ねる様でしたでしょう。
 家に戻ってみると、私が今日戻る事は手紙で知らせてありましたゆえ、家族総出で出迎えてくれました。
 私は嬉しくなって目の前のお茶にも手をつけず、様々近況をみんなに話しました。けれど吉継様の事だけは――、これは家族にも話せなかったのでございました。
 さてそうこうするうち、どこで聞きつけたのか、私が帰っている事を知った近所の人達が、一人二人とやって来ました。私がお城に御奉公に上がっている事は周知の事でしたので、みなその話を聞きに来たのでございます。この近所の人達は私の家と同様、普段お城に近付けもしない身分でしたので、そういう話にはいたく興味があった様でございます。
 私は近所のおかみさん達に取り囲まれ、その他愛のない質問に一々答えねばなりませんでした。その問答も一段落着くと、今度は彼女ら同士、様々世間話をし始めました。私はすっかり冷えてしまった湯呑みに手をつけながら聞くとはなしに聞いておりますと、中に一つちょっと聞き捨てならない、興味を引く話題が持ち上がってございました。
 それは近頃城下で頻発しているという、勾引の話でございました。それも若い女性ばかり、今年に入ってもう十人近くもさらわれているというのでございます――。
 凶行は夜中に行われます。何か用でもあって若い女が夜出歩いておりますと、朝になっても戻らない。そのまま消え失せ杳として行方が分からなくなってしまうというのでございます。けれどついに先日、橋のたもとから、数日前から行方知れずになっていた女が、斬殺された死体となって見つかったとの事。その刀傷から、下手人は侍ではないかと言われているそうで、今城下ではこの噂で持ち切りだそうでございました。
「まあ! 恐ろしい事!」
 それまで話に加わっていなかった私も、思わず声を上げしまいました。
「そうだよ。だからあんたも今日は早く、陽の暮れないうちにお城に戻った方がいいよ」
 一人のおかみさんが親切げにそう言ってくれました。その時脇からもう一人の、太ったおばさんがこう口を出して来ました。
「だけどねえ……、急いで戻るって言っても、あのお城にねえ……」
 その口振りが気になった私は、どういう事か尋ねてみたのでございます。するとその肥女は声をひそめつつも、こう話し始めました。
「実はねえ――。あまり大きな声じゃ言えないんだけど、一つ噂があってね。――下手人はお城のお屋形様、あの物の怪殿じゃないかってもっぱらの噂なんだよ。何でもお屋形様が夜中にほとんどお供も連れず、隠れる様にして歩いているのを見た、なんて人もいて……」
「こらっ!」
 肥女がそこまで言った時、一喝が飛びました。それは今まであまりいい顔をせず、黙って話を聞いていたわが父でございました。
「いい加減にせぬか! 大刑様(大谷刑部少輔の事)は我らが御主君なるぞ。そのお方を事もあろうに下手人呼ばわりするとは!」
 普段あまり感情も表に出さぬ父でございます。その父のこの怒り様に肥女も慌てて言葉を取り繕い、家を早々に立ち去って行きました。自然場は白け、みんなも三々五々帰って行きました。そして私も、陽が傾かぬうち、お城への帰途についたのでございます。
 その晩は、久し振りの外出で疲れが出たものかどうにも身体が億劫で、私は早々に床に就かせて頂きました。
 ふと目を覚ましますと、まだ外は暗い時刻の様でございました。私は一旦寝つくと朝まで目を覚ます事はほとんどないのでございますが、今日は思わぬ早寝をしたせいか、こんなまだ月の高い時刻に意識が戻ってしまったのでございます。
 私はしばらく布団の上に上半身を起したままぼうっとしておりましたが、やがて、
(厠に行っておこう)
 と寝ぼけた頭で思い立ちました。
 廊下に出ますと少々風がありましたが、暖かく決して嫌なものではございませんでした。その春風の中に微かな芳香が漂っていたのは、堀端の桜並木が五分咲きの香りを届けていてくれたものでしょう。
 春の訪れの嬉しさは、本当のところは北国の人間にしか分からぬものでありましょう。私は一人ちょっと笑みを浮かべながら厠への道を小走りに走ってみたものでございます。その時でございました――。
(あれっ?……)
 と、私は奇妙に思い足をとめました。私はその時高楼の上階に居りましたが、廊下はその建物の周りを回る様に設えられてございました。ですから欄干の向こうには、そのまま外の漆黒の闇が広がってございます。私は欄干の向こうへ落ちない様、手にした明りで足元を注意しながら進んでございました。
 奇妙に思ったというのは、欄干の外の下方に幾つか篝火の光が見えたのでございます。欄干からちょっと身を乗り出して下を眺めますと、その辺りは玄関の前庭の様でした。
(おかしいな……)
 あんな風に玄関に篝火が焚かれるというのは、誰か身分の高いお方が御出立なされる時しかございません。けれど今の時刻は、しかとは分かりませんでしたが周りがしんと物音一つせず寝静まっているところを見ますと、大分夜更けである事は間違いございません。こんな時間に一体誰が御出立なされるというのでしょう。
 とその時、今まで誰もいなかった玄関前に、建物の中から二つの人影が現れました。上から覗いているため、それが誰であるのかなかなか分かりませんでした。私はいたく興味をそそられ、ますます欄干の手摺に身を乗り出す様にして下を覗き込みました。
「あっ!」
 私は小さく叫び声を上げてしまいました。その時ようやく気がついたのでございます。篝火の明りに照らされて、一人の方のお顔が異様に白く輝いて見えるのに……。
 間違いなく、お顔に晒しを巻かれた吉継様でございました。しかしこんな真夜中に、お屋形様ともあろうお方が供を一人しか連れず、一体どこへ行こうというのでしょうか。私の頭にその時蘇っていたのは、
「お屋形様は真夜中出歩き、人をさらい殺している」
 という、あの肥女の言葉でございました――。
 その夜の事は誰にも話せませんでした。けれど、口には出さねど城中の者はみな薄々その事に気づいている様でございました。なぜならこれは一度きりの事ではなかったからでございます。
 吉継様は夜な夜な城下に忍んで行っておられる様でございました。しかもその間、例の城下の辻斬りはまだやむ事なく続いていたのでございます。
 私は無論恐ろしい思いでいましたが、逃げ出しもせずお側に仕えておりました。それは未だ城中において、人がいなくなったり、まして殺されたなどという事がなかったせいでございます。こう申しますと利己主義の誹りを免れないかもしれませんが、私は今城下に戻るより、多少恐ろしくともこのお城にいる方が安全に思えました。もし下手人が吉継様だったとしても、城内の者に手出しするおつもりはないのだ、と思いました。
 そんな晩春の昼下がり。その日もよく晴れて暖かい日でございました。いえもう暖かいと言うよりは、日向を歩いておりますとちょっと汗ばむほどの陽気になっておりました。
 私は自分の仕事に一段落つき、一人でお城のお庭を経巡っておりました。私がこのお城に来て半年になりますが、その間も新しい下女が雇われるという事もなく女気のないままでしたので、自然私は暇な時には一人でいる事が多くなっておりました。
 桜はとうに散っておりましたが、代りに木々の若葉が輝きを放ってございました。私がお庭の木立の中を、その若葉を見上げ、深呼吸などしながら歩いておりますと、近くから鳥の鳴き声が聞こえてまいりました。それも一羽や二羽ではございません。その鳴き声がやや喧しく聞こえるほどです。
(あら……?)
 私はちょっと不審に思い、そちらへ足を向けてみました。
 するとその訳はすぐに分かりました。庭の中程にちょっと土を盛り上げた築山があるのでございますが、その上に小さな四阿が作られてございました。鳥達はその四阿の前に群がり、さんざめいているのです。どうやらその四阿の中に立った一人の男の方が、生米を投げて鳥達に与えている様でございました。
 ここは城内でもかなり奥まった場所で、ここにおられる方は限られております。私は吉継様の側仕えでありますゆえ出入りもできますが、下士などは足を踏み入れる事のできない場所でございます。
(前田様だ!)
 と、私は直感的に思いました。御家老衆の一人である前田様ならここにいてもおかしくはございませんし、第一こんな所で鳥と遊んでいるという子供っぽさが、あの飾り気ない前田様にぴったりの様に思えたのでございます。
 私は木陰から出て四阿に歩み寄り、笑いながら、
「前田様……」
 と声を掛けました。しかし私の足はそこでぴたりと止ってしまったのでございます。さっと笑いがひいて行きました。迂闊にもそれが人違いである事に、気づいたのでございます。
 四阿の屋根の陰になっている薄暗さのせいもございました。それまでそのお方は顔を伏せ、足元で騒ぐ小鳥達をじっと見下ろしておられたのでございますが、気配に気づかれたのかこちらへお顔を向けられました。そのお顔は白い晒しの巻かれた、吉継様のお顔でございました。
 吉継様は身動きもできないでいる私から目を逸らされ、再び足元の小鳥達に視線を移されました。それで私もようやくほっと息をつく事ができました。その血に濁った視線から逃れられるだけでも、私には有り難い事でございました。
「千代か……」
 吉継様が下を向いたまま、あの嗄れた声でぼそりと呟かれました。
「お前にはいつも妙な所を見られる」
 吉継様は小鳥に米粒を投げつつそう言われました。そのお言葉は嗄れてはございましたが、存外穏やかで、別にお怒りになっている御様子はございませんでした。
 それでも私は、何を申し上げてよいのやら、相変わらず喋る事もできませんでした。考えてみますと、この様に吉継様と間近で、しかも二人きりで対面しお声を掛けられるなど、絶えてなかった事にございます。私は恐ろしさと緊張で震えておりました。
「恐れる事はない」
 吉継様は相変わらずこちらを見もせず、仰せられました。その時気づいたのでございますが、吉継様がこちらを御覧にならないのは、その充血した目を見せない様にされていたのではないでしょうか。その瞳が私を怖じさせている事に気づいておられたのではないでしょうか。私を恐がらせない様に――私にお気遣い下されていたのではないでしょうか。
「――鳥は好きか?」
「は、はい!」
 私は小鳥などに別に特別な思い入れはなかったのでございますが、慌ててそう答えました。
「ではこちらへこい」
 吉継様の短いお言葉にちょっと躊躇しておりますと、
「どうした、早う近う寄れ」
 とちょっと強めに仰せられ、私は慌てて歩を進めました。
 小鳥が逃げぬ様注意して回り込みながら吉継様の元に行きますと、吉継様は、
「手を出せ」
 と仰せられました。言われるまま私が手の平を出しますと、吉継様はその上にぱらぱらと生米の粒を落とされました。私の手に御自分の手が触れぬ様にされているのが印象的でございました。
 吉継様は無言で、それを撒く様顎で指し示されました。仰せのまま私が生米をぱっと地面に放りますと、私が近寄ったためにちょっと遠巻きに散っていた小鳥達が、再び群がってまいりました。私は面白くなって側に吉継様が居られるのも忘れ、また餌を投げ与え、跳び回って米を啄ばむ鳥達を眺めておりました。
 しばらくそうしていますと不意に、
「以前、俺の素顔を見た事があったな」
 と吉継様が仰せられました。急だったもので私は吃驚し振り返り、吉継様のお顔を真面に見てしまいました。するとやはりそこには真っ白な晒しの布があり、その下にあるはずの、あのまるで溶けかかった様な素顔が思い出されて来たのでございます。
 私は再び身体を硬直させて、力なく一つうなずきました。
「醜かったろう? 恐ろしいか?」
 その問いに、私は慌てて顔を横に振りました。
「嘘をつけっ!」
 吉継様は突然声を上げられました。その声の調子に私は、思わず身体をびくっと震わせました。しかしそれはその時だけで、すぐに吉継様は嗄れた声で「ははは……」と笑い声をお上げになりました。なぜお笑いになるのか分からずに、私はただ、
(このお方も笑うんだ……)
 などと馬鹿馬鹿しい事を思いながら呆然としておりました。
「隠さずとも分かっておるわ。俺自身鏡を見てぎょっとする事もあるぞ。我自身驚くものを他人が、――特に女子供が見て恐れぬはずはないわ。城下の者共などは『物の怪殿』などとも呼んでおるそうではないか。――あの時、一瞬お前を斬ろうかと思った。俺は自分の姿を人に見られるのが嫌いだ」
 吉継様はそこまでおっしゃられると言葉をお止めになりました。私はただ黙ってうつむいているより他はございません。しばらくの沈黙の後、吉継様はぼそりと仰せられました。
「俺はな、癩の病に罹っておる」
「癩病?」
 私は「あっ」と思いました。私も話に聞いただけでございますが、癩病と申せば全身が膿み爛れ毛が抜け、鼻・指が解け落ちると言う、恐ろしい病ではありませんか。しかもこれは人に伝染る病のはずです。私は思わず二三歩後退りしてしまいました。
「心配せずとも良い。側にいるぐらいでは伝染らぬわ。身体を合わせでもせぬ限りな――」
 吉継様はこちらの心中を見通された様にそう仰せになりましたが、私はほっとして思わず微笑んでおりました。その最後の言葉が冗談である事に気がついたからでございます。吉継様がこんな冗談なども言われるという事が、何やら嬉しい様な気がいたしました。
「だから俺は城中に女を置かぬ様にして来たのだ。居れば俺もいらぬ気を使うし、第一女が俺の姿を見れば恐れるだろう。――お前には気の毒と思うておる。しかしこれも運命と思い今まで通り努めてくれ」
 吉継様はそう言い残されると、もうくるりと背を向けすたすたと向こうへ歩いて行ってしまわれました。後には私と、さんざめく小鳥達だけが残されました――。
 それから程無くして、例の勾引・辻斬りの下手人が捕まりました。この報せはかまびすしいほどの話題になっておりました。無論の事、下手人は吉継様ではございませんでした――。
 下手人達は五六人の浪人者の一団で、徒党を組んで山中を根城とし、娘を掠っては売り飛ばしていた由にございます。橋の下で見つかった死体というのは、隙を見て逃げ出した娘の一人が街まで来たところで追っ手に斬り殺された、という話でございました。この頃は、関白殿下がすでに四国・九州も討伐なされ、ほぼその天下が定まった頃でございましたから、この近隣には戦ごとなどなく、それゆえあぶれ者の浪士がこんな事をしでかしたのでございましょう。
 この事件自体何とも無惨極まりない話で、特に掠われた娘達は私と同じ年頃でしたので他人事ではない思いでございました。けれど同時に、下手人が吉継様でないと知って、ほっとした安堵感が沸き上がって来たのも事実でございました。
 私はその嬉しさにちょっと浮かれて、たまたま顔を合わせた前田様に図々しくも声を掛け、この話の詳細を伺いました。さすが前田様は御家老衆だけあって、城下の治安に関わるこの話にお詳しゅうございました。前田様は律義に、私などの質問にも一々丁寧にお答え下さいました。
 話が一段落し、事の顛末の詳細が分かって私は満足いたしまして、
「まあ、酷い話ですこと! 下手人が捕まって本当に良かった。一時など私は、てっきりお屋形様が――」
 私はついついそう言ってしまいました。
 その途端でございます。今まであれほど穏やかそうなお顔をなされていた前田様の形相が一変いたしました。
「殿が――、いかがいたしたと言うのだ」
「え? い、いえ……」
 私はその豹変振りに狼狽し、口ごもりました。前田様は大きくこそございませんでしたが、低く通る声で続けられました。その底には強い憤りがある様に思えました。
「殿が――、下手人と思った、と言うのか? お前までが」
「い、いえ、私はそんな……。ただ、そういう噂を耳にいたしましたもので……。――それに、お屋形様が護衛も連れず、夜中出て行くのを見たので……」
 私はしどろもどろになりながら、そう言い分けをいたしました。私のその狼狽振りを見ているうち、どうやらようやく前田様も徐々に怒りを解いてくれた様でございました。
 前田様はそれ以前よりはやや穏やかに仰せられました。
「よい――。確かにあのお方は誤解されている。あれほど領民思いの領主はあらせられぬのに、その領民共からこれほど嫌われているお方もあられぬ。――しかしだ。お側仕えのそなたまでが、そんな愚民の言に乗せられるとはどういう事だ。よろしい。なぜ殿が毎夜城下に出られていたか、その訳を話してやろう」
 前田様は静かに語られ始めました。まるで一言一言、私に言い聞かせる様に――。
 それによりますれば、吉継様が毎夜出掛けられていたのは他でもなく、市中を臨検されるためであったそうでございます。近頃城下を辻斬りが騒がしている事をお聞き及びになり、自ら見回りをなされていた、との事。お供の数が少なかったのも、大勢であれば夜半かえって人々を騒がす事になるだろう、というお気遣いであったそうでございます。それに加えて想像しまするに、その様な行為を人に知られるのが恥ずかしいという、吉継様一流の照れの様なものがあったのではないでしょうか。あのお方はそういうお人でございました――。
 実際下手人が捕縛されたのも、吉継様のお力であったそうでございます。内偵を進めていた浪士共の巣に、自ら隊を指揮して踏み込まれたとの事。
 私この話をききあっと驚き、
(なるほど、そうだったのか……)
 と呆然としました。
 御家老衆の前田様がおっしゃる事ですから間違いはございません。それにしても私は、今までなんと思い違いをしていた事でしょう。これほどお側に仕えながら、真実よりも「物の怪殿」という評判の方を信じてしまったのです。そう思うとなんとも気恥ずかしく、吉継様に対して尊崇の念を覚えるとともにそれ以上に激しい自責の念に苛まれました。



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