臥龍桜 5 龍華成先生作

ある夏の暑い夜、一際明るく輝く星が、白い尾を引いて西の空へと流れていった。
禍々しい紅い光を発しながら、その星は引き寄せられる様に稜線の彼方へ堕ちた。
星が流れるのは凶兆であると云う。臥龍はそれを信じていたわけではなかったが、
その時は、不吉な予感がまとわりついて離れなかった。
世の中には、人の感覚では計り知れない不思議と呼ばれるものが、存在するのだ。
自分が人の心を持ち、人の言葉を解する様に。
間もなく、西の空が紅く染まり始めた。
西は、京の都。


翌晩三助は久しぶりに現れた。三助と初めて出逢った夜の様に東風が吹いていた。
何処で戦があったのか、彼は甲冑姿で、また何時もの様にやつれた顔をしていた。
三助の乗って来た青馬は、三助が降りた途端、泡を噛んで地面にどう、と倒れた。
馬は体の彼方此方に矢傷を負っていた。流れ出した血が固まって鈍く光っている。
三助は甲冑を脱ぎ捨て、臥龍の根元に腰掛けた。放り出した胴丸は闇に飲まれた。
彼の着物も半分血に染まっていた。彼の色白の肌が、いつも以上に青白く見える。
あれは全部三助の血だろうか、ふとそんなことを思った。
あんなに出血したら死んでしまう。
・・・・死ぬ?三助が?
三助の鎖骨の上辺りから木の枝のようなものが、三寸ほど生えているように見えた。
三助は今気付いたとでも云う様に、おもむろに枝に手を掛け、ずるりと引き抜いた。
そ其れは枝ではなく矢だった。抜けた痕から黒い液体が放物線を描いて噴き出した。
こみ上げてきた血が、くちびるの端からこぼれた。三助は小さくふたつ、咳をした。
「臥龍、俺は疲れた。しばし寝る。誰も近づけるな」
そう云って、三助はいつもそうしてきたように、臥龍の根元に仰向けに寝転んだ。
しかし、地面はすでに黒い血だまりになっていた。ぱしゃと水のはねる音がした。
もういいだろう?
臥龍は三助がそう云ったように聞こえた。何か云ったか?と臥龍は聞き直したが、
三助はもう返事をしなかった。
天空に月が煌々と上がった。
森は闇を纏い、粛々と臥龍を包んでいる。
今宵は蛙の声も無く、蒼い稲穂の上を滑るように東風が吹く。
臥龍は風の囁きに耳を傾ける。
三助はもう息をしていなかった。
共に眠ろう、少年よ
かつて風吹く森に現れ出でた紅い小鬼は、紅い肉塊となって血溜りに浸かっている。
流れ出した血はとくとくと躯の下に滑り込み、池をつくり、其の表面に月を映し、
密やかに、苔むした樹下に蔓延りながら、どくどくと土を黒く染めて消えていった。
死んだら私の色になりたいと言っていたな
だがそれも叶えてやれない
私の命は尽きていたのだ
お前のために生きてきた
臥龍の意識は遠退いた。
さんすけ・・・・
臥龍を魅きつけて止まなかったあの美しい死神は、三助だったのか。
薄れゆく意識の中で三助に触れようと伸ばした枝が掴んだのは、真紅の花弁だった。
三助の身体はもう其処には無かった。ただ、紅い花びらが積っているばかりだった。
臥龍が最期に三助に伸ばした手も、崩れて花びらになってしまった。
東風が穏やかに吹いていた。


翌朝、村に絶叫がこだました。
「臥龍が、臥龍がっ・・・・・天へ帰ってまった・・・・!!」
人々は、一晩のうちに消え去ってしまった臥龍桜を見て驚き、そして酷く悲しんだ。
肉親を失ったかのように、村中が悲しみに沈んだ。臥龍が在ったはずの場所には、
馬の屍骸がひとつ倒れているだけで、臥龍の株や根すらも、跡形もなくなっていた。
ただ、唯一臥龍だけが咲かせることの出来たあの紅い花びらが二片だけ残っていた。
村人達はその場所に祠を建て、花びらをその中に納めた。
数日後、京の都での政変が村に伝わると、村長はこう云ったという。
「臥龍は、先日京で亡くなられた、先の右大臣様が大変愛でておられた櫻だで、
 一緒に連れていきなさったんだわ」
現在、臥龍桜のあった場所は、木曽川の底に沈んでいる。



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