『火起請御取候の事』 司馬ごくたろう先生作

「それ見ぃ!落としてまぁたやないかにぃ!」
「たぁ~け!はなっからこんなもん掴めるわけあらせんがや!」
「とろくっさぁ~こと言っとたらあかんにぃ!やろまぃ言うたのはそっちの方だで!」
「おみゃぁ~が先に言うたんだがや!」

 怒号が稲妻の如く飛び交います。
 その声は二つの勢いに分かれてとったのです。
 池田勝三郎恒興とその家来衆。
 織田造酒丞信房とその家来衆。
 どちらも御当地尾張の実力者織田信長の家臣でありました。

 事の起こりはこんな事。
 甚兵衛という大屋村の庄屋の館に賊が入ったのです。
 その日、主人の甚兵衛はちょうど留守。
 館の中には甚兵衛の女房と女中達だけ。
 女ばかりでは不用心と甚兵衛は心配したのだろうが甚兵衛の女房、実は海東郡一と
 噂される程の怪力女であったから心配よりも安心の方が強かったのかもしれませぬ。
 けれども男手が全くいない女だけで留守を番する村長者の館。その手に事に自信の
 ある者が狙わない道理は無いと思われます。
 その賊もそんな軽い気持ちで忍込んだのであろと思われます。
 ところが、入った途端に見つかってしまったのです。
 裏口から厠を抜けて入る算段だったのだけれども、ちょうどそこへ甚兵衛の女房が
 用を足しにやってきたのです。
 なぁに当て身を一発喰らわせればと賊が構えた瞬間、甚兵衛の女房の張り手が飛ん
 できて、ひるんだ途端に羽交い締め。
 これはかなわんともがけばもがくほど深みにはまります。
 全身全霊の力を振り絞って蛙掛けに持ち込みようやく締めが解け、その隙に一目さん
 に走るは走る。 命辛々なんとか逃げ出すことができたのでありました。
 
 やがて甚兵衛が帰ってくると女房は事の顛末を主人に話してきかす。
 残念ながら賊は取り逃がし、頬被りをしていたので顔も解らない。
 けれどもここに証拠の品が、と差し出したのは刀の鞘。
 取っ組み合いをしている間に賊から奪い取ったという刀の鞘。
 よく見ればこの刀の鞘、そんじゃそこらの安物ではないのです。
 ならば下手人は百姓・下人の類ではなく、れっきとした武士であろう。
 甚兵衛の庄を治めるのは織田造酒丞。
 織田姓ではあるけれどホンと本当は尾張の守護代の織田様とは何の関係もない方です。
 もとは菅屋姓であったとか、そうでないとか。
 織田守護代様の御奉行であった織田弾正忠様の良き片腕として武功を重ね織田姓を
 名乗ることを赦されたという、七本槍にも数えられる強者でありました。

 さて、その造酒丞にくだんの刀の鞘を差し出してみれば、おやこれは?
 どこかで見たことあるような。
 そうそう。思い出した。思い出した。
 これは池田勝三郎の家来衆左介の持ち物に相違ない。
 下手人は勝三郎の家来の左介。
 それ。奴を捕まえろ。
 いや。まてまて。
 逸る甚兵衛とその一族を造酒丞はなんとか制した様子。

 池田勝三郎と言えば時の人、織田上総介信長殿の御寵臣。
 加えて上総介殿の乳兄弟。
 造酒丞と勝三郎とは同じ上総介殿の家来衆。
 言わば同門なのでありました。
 内輪でのもめ事はきつい御法度。
 ここは力で解決するのではなく、ちゃんと筋を通そまい。
 甚兵衛と造酒丞は尾張守護斯波義銀へ訴え出たのでございます。

 さて。  その尾張守護斯波義銀と申すのが実はこの私。
 尾張守護と言えば尾張の武門の棟梁です。
 守護の命で尾張の家人、国人が右へ左へ動くのです。
 ですが今の守護というのは名ばかりで、かくいう尾張の守護も上総介殿の庇護に
 あずかり暮らす身の上なのです。

 くだんの「刀の鞘」が甚兵衛の女房から奪い取ったのが事実としても、それは盗ま
 れたものだと主張する左介と勝三郎の家来衆。
 盗んだそいつが今度は甚兵衛の館に忍び込み、落としていったに違いない
 いや、確かに賊は左介であったと主張すると甚兵衛と造酒丞家来衆。
 ならば顔を見たのかと聞けば、咄嗟のことで良くわからない。
 どちらかの主張を取ればどちらかが嘘を言ったこととなる。
 それを私に見極めろと言うのです。
 そんな。そんなこと出来ませぬ。
 血走った彼らの目…。
 どちらかの主張を是とすれば否と呼ばれた側から逆恨みをかうのは必至です。
 こんなことは上総介殿に裁定を持ち込めばいいものを…。
 聞けば上総介殿はいつもの鷹狩り。
 何処の野山へ行ったのかもわからず、何時戻ってくるかもわからず。
 それで私にこの役目が廻ってきたということでした。
 どうしましょう。

 勝三郎の目。造酒丞の目。左介の目。甚兵衛とその女房の目。
 こ、怖いです。
 そんな時、ふと閃いたことがございます。
 それは古来伝わる「火起請(ひぎしょう)」です。
「火起請」というのは鉄の棒を真っ赤に焼いて、それを被告が掴んでみる。
 もちろん、その前に祈祷をします。
 神仏に私は嘘偽りは申しておりません。
 そうすれば神仏は心正しき者の手を火傷から守ってくれるのです。
 邪な者は掴めないし、無理に掴めば火傷する。
 嗚呼。いい方法がありました。
 これならば裁定は神仏が行い、私はどちらの恨みもかわずに住みます。

 そうだそうだ。
 造酒丞側の集団から賛成の声があがります。
「そのかわり、俺っちの左介が火傷せぇへんかったら、お前ぁが掴んでみせぇよ。」
 
 左介の隣に並ぶ右ェ門が応戦する。
 右ェ門は隣の左介の目が点になったのを見落としてしまった様子。
 そう。 右ェ門の言葉は火起請に応じたという意味なのですから。

 すぐ準備が進められ、やがて左介の目の前に真っ赤に焼かれた手斧が運ばれました。
 ごくりと息を呑む左介。
 観衆も熱い視線を送っています。
 恐る恐る手を手斧に近付ける。
 そぉ~っと、そぉ~っと近付ける。
 ジュッ!
 という音が聞こえたかと思うと
「いっっっっっっっ・・・ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!」
 左介は叫びとも唸りともとれぬ声を張り上げ飛び上がりました。
「ほれ見ぃ! 火傷したでなぁか!」
 造酒丞衆が左介に詰め寄る。
「まてまてまてまてぇ!」
 勝三郎衆が左介を守ろうと囲みをつくる。
「それ見ぃ!落としてまぁたやないか!」
「たぁ~け!はなっからこんなもん掴めるわけあらせんがや!」
「とろくっさぁ~こと言っとたらあかんて!やろ~と言うたのはそっちの方やろ!」
「おみゃぁ~が先に言うたんだがや!」
 嗚呼、どういたしましょう。
 音便に事をすまそうと思った事が裏目に出て余計に大騒ぎになってしまった。

 きっと彼らは火起請の話を持ち出したのは誰だと気が付くに違いありません。
 よくよく考えて見れば真っ赤に焼けた手斧を掴むなんて事、出来るはずがありません。
 もしこれで左介が処断されたなら、勝三郎衆は私が 造酒丞衆に荷担したと
 思い込み逆恨みするに違いありません。
 嗚呼、どうしましょう。
 三十六計、ここは逃げるが勝ち。
 でも、どこへ。

 と、そんな時です。
「何、騒いどりゃぁす?」
 ちょっと甲高い若い声。

 そうです。そうです。
 ヒーローは必ず最後にやってくるものなのです。  その時、上総介殿は鷹狩りを終えて帰路の途中、
 喧噪を聞きつけ立ち寄ったのです。
 双方の主張をじっと聞く上総介殿。
「左介が焼けた手斧を掴みそこねたじゃねぇか。」
「そんなもん、誰が掴んだって火傷するに決まってる。」
 お互いが声を張り上げ主張しあう。
 また喧嘩が始まるかと思えたけれども、流石そこは織田上総介殿。
「やかましい!」
 
 一言で皆、し~んと静まる。
 (私が言っても聞かないのに。)
 上総介殿は続けます。

「火起請は心正しき者の手を火傷から守り、邪な者は火傷する。
 しかと相違ないんだな。
 試してみよまぃ。
 まこと心正しき者は火傷せんのだったら、左介よ、火傷をしたお前の心は邪だとい
 うことになるでよ。
 儂が火傷したならば火起請等というものは、全くの嘘偽り。
 嘘偽りを持って誑かす奴は。」
 と、そこまで言って私を睨む…きっ!。
 ゾクッ!
 両手両脇の冷や汗、滝の如くでございます。
 
 上総介殿はもう一度火起請の用意をさせたまし。
「どれくらい赤く焼いたのか?
 もっと、赤く、そら赤く。
 そうそう、かように赤く焼かねばならぬ。」

 見ているだけでも熱さを感じる程に赤く焼けた手斧。
 上総介殿が掴む。
 当然、大火傷。
 火傷の痛みと嘘偽りの疑いへの怒りの相乗効果。
 わ、わ、私。私の人生、もう、お終りです。

「さ、これぐらいでいいかのぅ?」
 おもむろに上総介殿、赤く焼けた手斧に手を伸されました。
 あ、あ、だめ~ぇ…!
 ジュッという微かな鈍い音。
 上総介殿が。
 上総介殿が右手で手斧を掴んだのです。
 し~ん…。
 静寂。
 いつの間にか上総介殿がうつむいて…肩が微かに震えています。
 
 わ、私は逃げた方が良いのではないのでしょうか?

 静かに、そしてゆっくると上総介殿は面を上げました。
 薄笑いを浮かべています。 
 未だ、皆の方からは見えないかもしれないが、こちらからははっきりと見える、
 上総介殿の額に浮かぶ汗。
 わ!上総介殿と目があった!あわわ!

 上総介殿はもう一度うつむいて左手で額を掻くふりをしながら汗を拭う。
 次に面を上げたときにはもう汗はなく精悍な鋭い目つきのいつもの上総介殿の顔が
 ありました。
 そのまま上総介殿は振り返り皆の前へ歩き出す。
 もちろん手斧は掴んだまま。
 一歩、二歩、三歩。
 ちょうど左介の正面に立つと手斧を掴んだ右腕を高く掲げました。
 それから満面の笑みをうかべると一歩、二歩、三歩…こちらに向き直り、手斧を元
 の場所に戻し、ゆっくりと手を離したのです。
 
 誰も声を発しない。
 声を出すことも出来ないでいました。
 
「どうでぁ? 火起請とはかくの如く、心正しき者には熱くないでよ!」
 上総介殿が発した声で皆もようやく我に返る。

「ほれみぃ!火起請とはかくの如く、心正しき者には熱くない!」
「お主は火傷した!心正しき者じゃねぇ!」
 流石の勝三郎も、もう左介をかばいきれないはずです。
 造酒丞衆が左介を袋叩きにしている間、じっと立ちつくすまま。
 造酒丞衆から歓声があがります。

 そんな騒ぎの中、上総介殿はそそくさと姿を消してしまいました。
 けれど、私は上総介殿を目で追い続けていました。
 だから私だけは気が付いていたのです。
 上総介殿の右肩がぷるぷる震えていた事を。
 微かに涙目になっていた事を。
 こころなしか小走りに掛けて行った事を。

 上総介殿~ぉぉぉぉぉ! あんたはえらい!


(完)



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