お盆特別企画 『おくるす奇譚』  司馬ごくたろう先生作

なんの音だ?
何処から聞こえてくるといふのだ。
あたりを見回わせど誰も居ない。
ただ闇の中に白い土塀が消えていくだけだ。
されど誰かがそこには居る。
誰かの気配がそこにはある。
じんと湿つた重たい空気。
鼻を衝くやうな生臭さ。
くくく。
突然、地の底から湧き上がるやうに笑い声が聞こえた。
誰だ?
やはり誰か居るのか?
姿は見えねど誰かがそこに居るといふのであろうか。
その笑い声のする方・・・。
地面を凝視し続けた。
くくく。
笑い声は段々と大きくなつてきた。
そう、地の底から地上へと湧き上がつてくるやうに。
地面が少し盛り上がつた。
ごぼつといふ鈍い音とともに地面が割れた。
その裂け目から白い蝋のやうな手が静かに現れた。
まるで蛇がその鎌首を持ち上げるやうに、ずんと伸び指を軽く閉じている。
白い手はしずしすと這いずるやうに足に絡みついてくる。
爪先から甲へと。
踝まで包み込みやがて足首を覆うやうに。
生暖かくじとりと湿つた手の平が足首全体を包み込む。
徐々に力が加わり始めた。
足が。
足が動かない。
その手首を払いのけよとしやうにも足が動かない。
それに反して足首を掴む手は段々と力を増す。
離せ!
怒鳴り声を上げる。
いや、上げた心算ではあつたが声はでない。
もう一度「離せ!」
だが声は出なかつた。
変わりにごぼごぼとした泡の毀れるやうな音が口から漏れるばかり。
どうしたといふのだ。
喉元に手を掛ける。
生暖かい。
生暖かく濡れている。
雨?
雨ではない。
もつと粘りのある重たい水だ。
つんと鼻を衝く臭いもする。
錆びた赤鉄のやうな臭い。
それが喉元から流れているのだ。
喉元を弄ると、それはどんどん溢れてくる。
何だといふのだ。
喉から離した手は真紅に染まつていた。
血。
これは血だ。
どこから出てきたのだ。
どうしてこの手が血に染まつているのだ。
誰の血だ。
儂の血か。
くくく。
誰だ?
また声が聞こえる。
じゆう・・・べえ。
誰だ?
じゆう・・・べえ。
儂の名か。
誰だ?
誰が儂の名を呼ぶ。
我に返ると足首を掴む先ほどの手首は胸元まで這いずりあがってきていた。
手首の先には腕があるはずだ。
腕の先には肩があり、その先には・・・。
そこには二つの眼差しがあつた。
う、う。
鬱金色に輝く瞳。
鬼?
鬼ではない。
だが、その瞳はまさしく鬼であるかと思われる。
死人のやうな鉛色の額。
薄い口ひげの下には微笑みとも思わせる薄い唇。
その唇がかすかに動く。
じゆう・・・べえ。
手首が胸元を弄り始める。
鬼の顔もじつとこちらを睨んでいる。
鬼の手首は胸の中に潜り込もうとしている。
くくく。
また笑い声だ。
鬼の手首は胸の中に潜り込んでいる。
心の臓を弄んでいる。
くくく。
鬼の顔は儂の目前まで這い上がつてきた。
その手首は心の臓を握り絞めていた。
くくく。
うえさま。
ごぼごぼと泡を吹き出しながら声にならない声が儂の口から漏れた。
鬼の唇がにつとつりあがり嬉しそうに呟いた。
是非に及ばず。


   もう死んでるかぁ?
   と五郎八。
   うぬ。息はしていないようだなぁ。
   野次兵衛が頷く。
   それにしても恐ろしい形相だぁ。
   まだ、睨んでるぞぉ。
   生きてるようじゃ。
   まさかぁ。
   ほれぇ試しに突付いてみぉ。
   動かねぇ。
   死んでるんだぁ。
   届けよう。
   届けるさ。
   えろうごっつい刀さぁ。
   さぞ、名のある大将に違いない。
   褒賞もらえるかな。
   あぁ、たんと貰えるさぁ。。。
   
                          (完)



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