講釈三郎物語 (1)『蛇がへの事』 司馬ごくたろう先生作

弘治元年のことでございます。
尾張の国、比良の庄といえば、佐々内蔵助成政の統治するところでございます。
この比良の庄の東にあまが池と呼ばれる池がございました。
平成の世ではほんの小さな蓮池ですが、まだこの当時は大きな池であったようでございます。

さて、時は弘治元年。
あゝ、これはもう言いましたね。
さて、その年の正月も明け、月半ばにさしかかった頃、この事件は幕を開けるのでございます。
その日の朝は天気も良かったのに、お昼頃からぽつぽつと小雨が降り出しました。
夕方になるとすっかりどしゃ降り。
この雨のなか、ひとりの男が歩いておりました。
男の名は又左衛門と申しまして、あまが池の南を流れる庄内川の河を挟んだ対岸の福徳郷の百姓です。
又左衛門の兄嫁が比良の庄屋の娘でございまして、兄嫁の代理で庄屋さんのところへ挨拶にいくところ。
え?正月すぎてなんの挨拶かって?まぁ、いいじゃぁありませんか、細かい話は。
まぁ、とぼとぼと、又左衛門は歩いておりました。
「なんでぇ。こんな雨ん中・・・ちゃっと用事済ませてはよ帰ろ。」
そんな愚痴のひとつでもこぼしていたのかもしれません。
で、又左衛門は歩いておりまして、あまが池の堤にさしかかりましたところ、道をふさぐようにおおきな丸太が、でーんと横たわっていたのでありました。
「ん?誰だぁも。こんな所に丸太ン坊、落とらきゃーしたんは。」
どかそうにも丸太は非常に太く重たそうなので又左衛門ひとりでは、どうにも動きそうにありません。
そのまま又左衛門はひょいと丸太をまたごうとしたところ、丸太がびくんと動いたのでございます。
「・・・・?」
よく見ると丸太と思ったそれは、どうやら丸太ではない様子。
どこかぬめぬめした感じがあり、木肌と思った表面はなにやら鱗のような。
そして頭上から、しゃー、しゃーと、不気味な音。
「・・・・?」
又左衛門はその音のする方向、つまり頭の遙か上を見上げたのでした。
頭の上に浮かんでいたのは大きな蛇の口。
「ひ、ひょぇぇぇぇぇぇぇ。」
丸太と思っていたのは一抱えもあろう程の太さの胴をもつ、大きな大蛇だったのでございました。
あまが池の堤の端から端へと横たわり、そう、さもこれから池の中の巣にでも戻ろうとしたところ、人の気配を感じてうるさい奴だと鎌首を持ち上げにらみつけた。
そんな表情の大蛇の顔でしたのでございます。
ちろちろと赤い舌を出す、まさしくそれは大蛇。
きっと、この大蛇、あまが池の主なのでございましょう。
それはそうと、睨み付けられた又左衛門、口から泡を吹くほどの驚きよう。
兄嫁の用事も何のその、恐ろしさのあまりそのまま逃げ帰ったのでございます。


半ば狂乱ぎみで走る又左衛門。
どこをどう走ったのかたどり着いたのは大野木の宿。
宿に駆け込むや否や布団に飛び入るとぶるぶる震えている始末。
なにを問うても、「おそがぃ。おそがぃ。」と震えるばかり。
やっと、落ち着きを取り戻し事の顛末を話し出したのは三日三晩たってからでした。
「ど、どえりゃぁふぃっとい丸太と思ったがよぉ、ずるっと、動いたんだわ・・・。」


まことこの手の話は瞬く間に世間に広まるものでございます。
あまが池におおきな蛇が出たらしい。
なんと口の大きさが2間もあるらしい。
牛を一頭一呑みにしたそうな。
福徳の又左衛門も喰われちまったらしい。
いんや、喰われたのは兄嫁のほうだて。
噂というのは尾ひれ背びれのつくもの。
話はだんだんおおきくなり、遂には竜が出たの、比良のお城を一呑みしただの。
尾張は愛智郡春日井郡一帯この噂で持ちきり。
尾張随一の清洲の城下でも朝晩とめどなく囁かれていたのでございました。
とすれば、当然あの御仁のお耳にも入ります。
あの御仁、そうです我らが織田家の惣領、信長様。
人呼んで「尾張のおおうつけ」三郎殿でございます。

信長 「何ぃ?そんなたーけたことあらすかぁ。
とろくさーこと、言っとたらあかんて。」
それが三郎殿の第一声でございました。
「いやいや、嘘ではござらぬ。今、城下はこのような噂で持ちきりでござる。」
と、説明するのは三郎殿の守り役、内藤勝介。
三郎殿の守り役といえば平手政秀でございますが、政秀殿は一昨年のこと三郎殿の奇行をお諫めするた為に、ご自害なされ候。
三郎殿のお父君信秀様が、三郎殿の守り役としてお付けになられた四人の家老うち二人がすでにお亡くなりになられ、残されたのは林佐渡守通勝とこの内藤勝介の二人なのでございます。
三郎殿は政秀をじぃ、じぃと呼んで・・・うぅぅ、思い出すと目頭が熱うなります。
ぐすっ・・・。
し、失礼。三郎殿と平手殿のお話はまた別の機会でいたしましょう。
話を戻します。今は三郎殿と内藤殿の会話です。

「いや。噂というのは兎角、尾ひれが付きやすいものじゃ。
こういうことは、直接、出何処を問うのがあやすいわなも。
勝介、その又左衛門とやらを連れてこやぁ。直々に問うてみるわ。」
さすがは我らが三郎殿、事の本質をするどく見ている。

さて、清洲のお城へ連れてこられた又左衛門。
うつけか大蛇かと今や世間の評判を二分する二人をわずか数日のうちに対面できたのでございます。
おや?一人と一匹ですね。この場合は。
でも、これほどの大蛇となれば一匹というより一頭か。
いやいや、池の主とあらば神様同然、お柱というべきでしょうか。
あゝ、また話がそれてしまいました。戻します。
三郎殿の前に出された又左衛門。
事の顛末を問われて答えるのですが、もう人に話すのは何十回目となろうか。
最初の頃はおどおど話していたのですが、今はもう慣れっこ。
舌もぺろぺろよく動く。
『信長公記』にも描かれたそのとき語られた姿を述べるなら、
「つらは鹿のつらのごとくなり。眼は星のごとく光かがやく。
舌を出したるは紅のごとくにて、手をひらきたるごとくなり」
「おもしろい。」
三郎殿のはしかと手を叩きお喜びになられたのでございます。
「されば、勝介。その大蛇とやら、儂も見たい。」
かくして、あまが池の大蛇の生け捕り作戦が開始されたのでございます。

日付は変わりその翌日。
比良・大野木・高田・安食・味鏡と、周辺の村々から百姓をかり出しました。
もともと比良・大野木は佐々の知行地なのですが三郎殿は佐々殿の主筋にもあたるので、そんなことはおかまいなし。
真冬だというので畑仕事が忙しいわけでもない。
それに噂の大蛇とやら、やはり自分も見てみたい。
百姓衆は鋤・鍬・釣瓶を持ち寄せて勇んで集まったのでございます。


「ええかぁ。大蛇は池の底に潜んでいるはずじゃ。水をかき出せ、かき出せ。」
「そら。やろまいか。」
数百という釣瓶が並べられ、池の水を掻き出しはじめました。
しかし、なかなか池の水は減りません。
「まっと、はよやりゃぁ。ちゃーっと済ませんもんか。」
もともと短気な三郎殿。
だんだんしびれをきらしてきたご様子でございます。
それでもじっと待っていたのは、やはり大蛇見たさでございましょうか。
ふた時ほどたった・・・ああそうそう、ふた時とは四時間の事ですよ。
当時は子、丑、寅と時刻を十二等分・・・いやぁ、また余談に走ってしまうところでございました。
とにかく、ふた時ほど水を掻き出すと池の水も七分ほどは減ったのでしょうか。
それでも大蛇の姿は見えません。
「ええぃ。」
と、三郎殿は懐刀を口にくわえると自ら池の中へ。
ざぶーーーーん・・・・と、飛び込んだのでございます。
これには近習ともども驚きました。
なにせほら、今は一月、真冬のことでございます。
殿にもしもの事があっては一大事と内藤殿も池の中へ
「ひゃぁ。冷たい。」
腕を入れてみましたものの足は入らず。
「勝介。やめときゃぁ。これでは本当に年寄に冷や水だで。」
三郎殿は寒さも見せず、池の中へ潜ります。
さすがは我らが三郎殿。
皆はうつけよ、うつけと誹るばかりでございましたが、何を隠そう水練達者。
このことは・・・詳しく述べると話がそれるので、あとからおめぐ殿の「戦国時代の健康法」をごらんくだされ。
しかし、内藤殿も気が気でない。
「誰かおらんか?殿ひとりでは危険じゃ。」
「よし、儂が行こまぃか。」
言うが早いか鵜左衛門という男が諸肌ぬいで、ざぶーーーーん。
鵜左衛門という男、ととは右左衛門と申していたのを、その鵜の如く川に潜る様を三郎殿が見て
「あやつは鵜よ。鵜左衛門よ。」と喜び名を賜った程の水達者。
三郎殿と鵜左衛門、ふたりの水練の達人が何度も潜るが、いっこうに大蛇の姿は見つからない。
「ぶはっ。」
と、池から出た三郎殿、ひとこと。
「あぁ、とろくっさぁ。」


三郎殿の定評は迅速な攻めと機敏な退却。
つまり逃げ足も早いのでございます。
三郎殿、もうそこに池など無いが如く着替えを済ますと馬に乗る。
「勝介、帰るぞ。」
とっとと駆け出したのでございます。

やれやれ。
大蛇などいないではないのか。
まこと、殿様のお遊びには困ったものよ。
まぁ、そう言やぁすな。おおうつけならしゃぁないて。
さっきまで、興味津々で大蛇探しに精をを出していた百姓や近習たちも、大蛇が出てこないとなると現金なものでございます。
次々に愚痴をこぼす輩もでてきます。
残された後片付けは、今一人の守り役、林佐渡守通勝のお役目。
このところ、佐渡守、ご機嫌がよくありません。
ほとほと三郎殿の奇行にあきれ果てているご様子。
先日なども、弟の美作守に三郎殿を廃し三郎殿の弟君、勘十郎殿を立ててはどうかと話を持ちかけられて。
おぉっと、これは内密にございます。
こんな事が三郎殿のお耳にでも入ったら大変です。
それこそ、大蛇よりも恐がいこと・・・。
おやおや、三郎殿が戻って参りました。
なんなのでしょうか。
もしや、いまの独り言が聞こえてしまったのでしょうか。
いやいや、そんなはずはございません。
すると三郎殿、きょとんとする私に向かって、こう申されたのでございます。
「佐渡、何をしている?」
な、何と申されましても、後片付けでございます。
「誰が片付けよと申した!」
声も荒高く申されるのでございます。
「池の水を全部掻き出すのじゃ。底をさらえ。きっと大蛇はいるはずじゃ。
池の底が乾けば大蛇もきっと出てこよう。」
私は不覚にも口を開けたまま惚けた顔で聞いておりました。
「では、佐渡、頼んだゾ。」
言うなり、さっさと戻っていかれました。
ふと気が付けば、あたりの百姓衆の目が私を睨んでいるのでございます。

さ、三郎殿ぉぉぉぉ。
この時、私の心の中にはじめて殺意が芽生えたのでございました。
(完)



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