「戦国の時代へ・・・」第16話 湘南B作先生作

車が霧に迷い崖から転落するという、きっかけにより現代から永録元年(1558年)織田信長が今川義元を破る、桶狭間の戦いの2年前の世界へタイプスリップしてしまった中嶋太郎達一行(本間利和、沖芳子、望月美貴)、藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、偶然か何かの導きか織田信長と会うことができ、中嶋太郎、本間利和、沖芳子、望月美貴の4人は客人として、藤吉郎は草履とりとして信長に召し抱えられることになった。
織田信長は天下布武を旗印に天下統一に向け動き出した。

信長は、浅井朝倉の連合軍をを姉川の戦いで破り、とりあえず窮地を脱した。
しかし、そんな折、パパが近々討ち死にするという歴史を目のあたりにした利和が岐阜の町から消えた。

「やっぱり、本間はパパのところいったんやと思うわ。」
芳子が言った。
「信長様のところにもいなかったしね。
パパのところまで追いかけていこうか?」
私は言ったが、芳子と美貴は首を縦には振らなかった。
「本間君は、今私達が止めても聞かないわよ。
今は現代ではなく、戦国時代。
気のすむまでがんばらせてあげよう。」
美貴は言った。
「そうやな。
その結果歴史が変わったところで、仕方ないやないか?
もう、私達がここにいる時点で歴史は変わっているんやから。」

利和は私達の予想通り、宇佐山城(現在滋賀県大津市)の可成のところにいた。
「おう、本間殿、よくきた。
可成は本間殿を歓迎した。
「パパ、この城これだけの兵力では少なくない。
浅井、朝倉の軍に攻められたらひとたまりもないよ。
信ちゃんに頼んでもっと兵を増やしてもらった方がいいよ。」
「いや、これだけいれば十分、姉川の合戦で浅井も朝倉も大敗した直後そう攻め寄せはしまい。」
「それが、攻めてくるかも知れないんだよ。」
「それは、真か。」
利和がうなづくと、可成は家臣の一人を呼びつけて、
「浅井、朝倉の動きを警戒せよ。
不穏な動きがあれば即撃って出る。
特に比叡山との連携をな。」
と命じた。
それを聞くと、利和は
「パパ。
だから違うの。
撃って出たって、この城の兵力では勝てないって。
岐阜に逃げた方がいいよ。
それか、信ちゃんに援軍を頼むか。」
「信長様が敵としているのは、浅井朝倉だけではない。
そうそう、兵を回すことは出来まい。
この城をこれだけの兵で預かった以上、死をもってしてもここを死守する。
これが、この時代に生まれた宿命。
また、森家の家訓でもある。
それに、信長様はこの兵力でここは守れると考えておる。
信長様がそう考えているのなら絶対に守れるはずだ。
そう考えないと家臣としてはやっていけぬぞ。」
「もう、パパは頭が固いんだから。」
利和は、説得を続けてたが、その利和の説得を不穏に感じたのか、可成は一通の手紙をしたため、利和に渡した。
「この手紙を信長様に届けてくれ。」
可成はそういった。
利和はその手紙を可成の援軍を求める手紙だと思い、急いで岐阜に戻り信長に会い、その手紙を渡した。
信長はその手紙を一読すると、
「利和、もう下がってよい。」
と一言いい、利和を下がらせた。
利和は、援軍要請が受け入れられたと思い、喜んで美貴の洋服屋にもどった。
「パパ、助かったよ。
きっと、信ちゃんは援軍を出してくれるよ。」
利和は言った。
私達は複雑な気持ちでその言葉を聞いた。
しかし、いつまでたっても信長は援軍を出す気配はなかった。

そんなおり、秀吉が私達のところに慌てて駆け込んできた。
「大変じゃあ、森可成殿が討ち死にされたぞ。」
歴史を知っている私達はこうなることは分かっていたが、やはり衝撃を受けた。
利和の活動でもしかしたら助かるんじゃないかというわずかな希望を感じていたのかも知れなかった。
私達の中、一番ショックを受けたのは利和だった。
「信ちゃんが、パパの援軍要請を無視するからだ。」
利和らしくなく、ふさぎこんでしまった。
その知らせが届き、しばらくした後、信長よりの登城命令があった。
利和は、
「もう、信ちゃんの顔なんか、見たくない」と言ったが、連れていかないわけにも行かないので無理やり連れて行った。

信長は、可成討ち死にの報を受けた直後にしてはわりと機嫌がよさそうだった。
私達が行くと、信長の周りには結構目鼻立ちのはっきりとした三人の子がいた。
「信長様の子ですか?」
美貴が聞いた。
「いや、わしの子ではない。
それより、どうした本間は。」
いつもと違う本間を見て信長は声をかけた。
「信ちゃんが、パパの援軍要請を無視するから・・・。」
と利和は答えた。
「可成の援軍要請?
この手紙のことか?」
信長は利和が可成からことづかった手紙を差し出した。
その手紙には

私は、この城を死をもって守りますので心配無用。
信長様が天下布武を果たした後はやることが無くなってしまいます。
ここらへんが潮時かもしれません。
私の蘭丸、坊丸、力丸の3人の子には天下布武には、武術を身に付けるのは当然のこととしてそれ以外にも学問も身につけさせたいと思います。
出来ることならば、未来の知識のある中嶋殿、本間殿、沖殿、望月殿に教養を身につけさせてもらいたい。

というようなことがかかれていた。
利和の言葉から死を感じてこの手紙を書いたのだろうが、遺書とも思えるこの手紙には援軍については何も書かれていなかった。
「そこでだ、たしか沖殿は現代で子供を育てる仕事をしていたと聞いたが、この可成の3人の子の教育もお願いできぬか?
馬の世話と掛け持ちというのも大変だろうが、現代の方式と同じく子供一人、一人ににつき時給を払おう。」
と信長は言った。
現代でも蘭丸ファンだった芳子は蘭丸の教育となれば、時給といわず頼んででもやりたかった。
もちろん二つ返事で了承した。
「成長のあかつきにはわしの側近として召抱えるゆえ、しっかりと教育お願いいたす。」
それにより、利和の機嫌も多少直り、私達、蘭丸、坊丸、力丸の3兄弟の教育も始まった。
私達に蘭丸達のことを頼むと、信長は表情を一転して軍議を行い。
可成の弔い合戦をするかのごとく、家臣の反対を押し切って比叡山の焼き討ちを行えと命令した。
さらに、女、子供といえど容赦せずに切り殺せと命令。

軍議が終わると、秀吉は美貴の洋服屋にやって来た。
「いくら、可成殿の弔い合戦といえでも、冷厳あらたかな比叡山を焼き討ちさらに女子供まで切り殺せとはな。
こういえことは、殺戮を好まないわしや光秀殿(明智光秀)に任せずに、勝家殿(柴田勝家)にでもやらせればいいものを・・・。」
と今まで信長に不満をもらさずに従ってきた秀吉が不満を漏らした。
「比叡山は昔は冷厳あらたかだっかもしれんが、今となっては腐敗して寺ともいえぬありさま。
焼き討ちされて当然ではないんか。」と芳子が厳しい言葉を言った。
「信長様は、勝家殿ではなく、秀吉殿に任せたのにはわけがあると思いますよ。」
と美貴がいい、
「それを考えて行動した方がいいかもな。」と私も続けていった。

秀吉は、多少は吹っ切れたようだったが、私と美貴が言った秀吉に任せたわけについて考えながら、帰宅していった。

そして、比叡山焼き討ちは決行された。
光秀は信長の命令どおり、女、子供といえど容赦せずに切り殺した。
一方、秀吉は信長が秀吉に命じたのは女子供を隠れて逃がせという指示だと思い、隠れて女子供を逃がした。

信長はこの光秀と秀吉の行動を黙って見ていて、光秀を褒めもせずに、秀吉をとがめもしなかった。
信長自身、この両将の動きには複雑な思いがあったであろう。

しかし、世の中の信長を見る目はこの1件で明らかに厳しい目になった。
さらに、信長最大の脅威、武田信玄が足利義昭の命を受け上洛への道を進んでいた。
信長の盟友徳川家康の領地に目前に迫っていた。



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