「戦国の時代へ・・・」第17話 湘南B作先生作

車が霧に迷い崖から転落するという、きっかけにより現代から永録元年(1558年)織田信長が今川義元を破る、桶狭間の戦いの2年前の世界へタイプスリップしてしまった中嶋太郎達一行(本間利和、沖芳子、望月美貴)、藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、偶然か何かの導きか織田信長と会うことができ、中嶋太郎、本間利和、沖芳子、望月美貴の4人は客人として、藤吉郎は草履とりとして信長に召し抱えられることになった。
その後、秀吉は出世し武将となり、私達も蘭丸、坊丸、力丸の教育も行うことになり忙しい日々が続いた。
その中、信長は武田信玄が上洛に向け動き出したために窮地に立たされていた。

「大事件!!」
私と美貴が美貴の洋服屋にいると、利和がいつものように飛び込んできた。
「あれ、芳子お姉さまは?」
利和が聞いた。
「蘭丸たちの子供連れて、野外教育とか行って出かけていったよ。」
私が答えた。
「あの子天気のいい日はいつも野外教育しているけどね。」
続けて美貴が言った。
「タヌキ(徳川家康)が武田信玄に大敗してんだって。
この岐阜にもいつ武田の軍勢が攻め寄せてくるか分からないって言う話だよ。」
「それは大変だね。」
私が軽く言うと、
「そんな、他人事みたいに、信ちゃんも浅井、朝倉攻めに行っているし、町中に早く逃げた方がいいという話が飛びかって、大騒ぎだよ。」
「オラなんかもとりあえず信ちゃんのところまで逃げようよ。
芳子お姉さまも早く探しに行かなくちゃ。」
そう言い、利和が店を出て行こうとした時、
「別にそんなに慌てて探しに行かなくても大丈夫だって。」
私が利和を止めた。
「それより、ここにいても仕方ないし、清洲あたりまで武田軍の様子でも見に行こうか?」
私が利和に言った。
「えっ、逃げずに武田軍の様子なんか見に行って大丈夫なの。」
利和が聞いた。
「たぶん、大丈夫だよ。」
私が言うと、利和も納得して、清洲まで武田の様子を見に行くことにした。
私達が清洲行きの支度をしていると、芳子と蘭丸達が戻ってきた。
「私達も行くわ。」
芳子は言った。
「蘭丸は馬にも乗れるし、だいじょうぶやろ。
武田の軍を見せるのは蘭丸の勉強にもなるやろう。
美貴ちゃんは、坊丸、力丸ここで留守番しとき。」
そう言い、芳子と蘭丸も一緒に清洲まで馬に乗り武田の軍の様子を見に行った。
私達が清洲に着くと、清洲の町の中では、徳川を破った後、動きが止まった武田の軍勢に疑問を感じている声が多かった、中にはた信玄が死んだのではないかということを言う人もいた。
私達は、清洲からさらに足を伸ばして、遠巻きに武田の軍勢が見渡せる山を登った。
信玄が死んだことは歴史を知っている私達は間違いないと思ったが、あまり近くによると、信玄の死を隠そうとしている武田の忍びに見つかる恐れがあったのだ。
「ほら、蘭丸、あれが史上最強の騎馬軍団を誇る武田の軍やで。」
芳子が言った。
「芳子お姉さま、こんな遠くから見ていても強いか弱いかなんて分からないよ。」
利和が言った。
「いや、この場所からでも気のようなものが伝わってきます。」
蘭丸ははっきりと言った。
遠めに武田の軍勢を見ていると、一騎の武者が私達に向かってきた。
武田の兵かと重い警戒したが、蘭丸の
「兄上!!」と言う言葉で不安は消えた。
武者は蘭丸の兄、長可だった。
「中嶋殿、足利義昭公が信長様討伐の兵を挙げましたぞ。
信長様は即時に兵を京に差し向けました。」
「ついに、室町幕府も滅亡か。」
芳子は言った。
「将軍家を滅亡させるなんて出来るんですか?」
蘭丸が聞いた。
「信長様ならやるやろ。」
芳子が言った。
「武田の動きも止まったし、足利幕府滅亡、浅井朝倉の総攻撃か?」
私が独り言のようにつぶやくと、
「じゃあ、ここで動かない武田なんか見ていても仕方ないし、戻ろう。」
利和も言い、
「次は京に行くか。」
と芳子も言って、私達が京に向かった。
京に向かう途中、美貴、坊丸、力丸とも合流した。
私達が京に向かうと時を同じく、武田の兵も甲斐に引き上げていった。
これにより、信長最大の危機は去った。
私達が京に着いた時には、足利義昭は信長に捕らえられ、京の町では、義昭がどうなるかの噂で持ちきりだった。
二条城に着くと、私と利和、芳子、美貴の四人は信長に呼ばれた。
信長自身も、義昭をどうするかで迷っていたようだ。
義昭を放っておくと、また挙兵に及ぶだろう。
しかし、このまま殺してしまうのも忍びない。
将軍を殺すことで諸大名や家臣団の反感を恐れたわけではなかった。
義昭に対する妙な親近感みたいなものも沸いていた。
また、生かしておけばまた利用出来る機会があることも・・・。
その機会とは天下統一を果たした後のことも見据えたことだった。
歴史を知っている私達は義昭の処分に口を出すわけにもいかずまた、信長自身もそれを望んでおらず、信長に呼ばれた時も直接義昭についての話はなかった。
しかし、信長の迷いは受けて取れた。
比叡山を焼き討ち、自分を鬼と称しながら鬼になりきれない信長を私達は垣間見た気がした。
数日後、信長は義昭よりの家臣である光秀ではなく、秀吉に義昭の追放を命じた。
義昭を追放すると、信長は兵を取って返し、今のうちにと言わんばかりに朝倉攻めを行い、朝倉家を滅ぼした。
これにより、盟友朝倉、そして影ながら支えていた将軍家を失った浅井は孤立した。
私達は、京にいて信長の戦ぶりを見ていたが、朝倉を滅ぼし、信長が浅井の本城小谷を囲むと、小谷攻め信長本陣へ向かった。
私達が歴史を変えることは出来ない、してはならないと思ったが、信長、お市、長政の三人のことを考えるといてもたってもいられない気持ちだった。



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