三國志VII 奮闘記 17

 


221年-4月

餡梨(あんり)!よう戻ってきたのう!
は、一団の先頭に懐かしい顔を見つけ、駆け寄った。
餡梨は一瞬、ホッとしたような笑みを浮かべたが、
しかし複雑な表情に戻った。
「餡梨殿!」
重臣らも、餡梨のもとへ駆け寄ってきた。
「今までどこに居たのだ」
「哲坊殿、まことに申し訳なく…」
餡梨はそう云うと、背後の男たちを振り返った。

男たちの中から1人が進み出た。
その男は、端正な顔立ちで人品卑しからず、見るからに
切れ者といった風体。
あとの連中も、雑兵のなりをした数人以外は、
皆ひとかどの人物と思われ、とくに顔中に長い髭を蓄えた小柄な男は、
只者でない風格を備えている。
「哲坊殿、お久しゅうござる」
端正な顔立ちの男がひざまずいて述べた。
「おお、そなたは確か……」
「私をお忘れですか?」
「そうじゃ、陸遜…陸遜殿ではないか!」
私は、数年前の揚州での戦を思い出した。
あのとき、楚軍の指揮官として、
さんざんわが軍を苦しめたのが、この陸遜である。

「ようやく思い出してくださいましたか、哲坊殿」
「ああ、貴殿の戦ぶりは忘れもせん。
 して…ご貴殿らは何用があって来られたのか」
「は。ではご紹介させていただきます」
陸遜は、一団を振り向き、こちらに来るよう促した。

「もと楚王の、孫権殿です」
「なに!?」
私のみならず、重臣らは驚きつつ、髭の男を見やった。
「孫仲謀にござる」
孫権は、短く挨拶した。
背後の男らは、それぞれ周泰、丁奉、諸葛瑾、伊籍と名乗った。
「ご貴殿らの国は、曹操に攻められて…」
「滅び申した。が、城が落ちる寸前、こちらの餡梨殿の手引きで
 海に逃れ、ここまで落ち延びてきたのでござる」
陸遜が応えた。
「そうであったか…」

とりあえず、私は孫権達に酒肴をとらせようと、城中の広間へ招いた。

「5年前、私は、鳳凰(ほうおう)の後を追い、荊州を出ました。
 たった2年間だけの、血がつながっていない母親とはいえ、
 親として、あの子を連れ戻すまでは帰らぬ覚悟でした。
 しかし、この広い大地で1人の人間を探すのは至難でした。
 私はひとまず、青州に腰を落ち着けていたところ、
 陸遜殿と知り合い、招かれて楚に食客として留まることにしたのです。
 その頃は、先王・孫策殿も健在で、孫権殿は青州・徐州の太守でした。
 大国に留まっていれば、
 あの子―鳳凰―の噂も耳にするかもしれないと思ったからです。
 やがて、私は
条星(じょうせい)という男から、鳳凰の話を聞きました。
 あの子の本当の名は、真田信幸
(のぶゆき)
 倭
(やまと)の国に生まれで、この国に来て奴隷商人に飼われ、
 私に拾われた後、仕えたのが魏の
新荘(しんじょう)でした。
 哲坊殿の暗殺に失敗したのち、また新荘のもとへ戻ったということです。
 そのうちに、孫策殿が哲坊殿との戦で亡くなりました。
 王弟である孫権殿が跡をつぎましたが、その頃には、楚は魏と戦う国力は
 残っておらず、私は孫権殿や陸遜殿に、哲坊殿のもとへ落ち延びることを
 勧めたのです」
餡梨の長い話が終わった。
そのあとを、孫権の隣に座っていた周泰が続けた。
「我々にとって哲坊殿は、先主を死に追いやり、領土を奪った敵にござる。
 降るは屈辱の極み。なれど、曹操もまたわが領国を侵し、
 多くの将兵を殺した憎き敵。
 孫権殿は、一時は自害を決意されたのだが、我々が諌め、お連れした次第」
陸遜が言う。
「哲坊殿には、一度、わが命を救ってもらいました。
 そのご恩返しをしたいと思いましてな」
傍らの諸葛瑾が立って述べた。
「わが国は戦に敗れ申した。敗れるにしても、相手を認めて敗れるか、
 不本意なまま敗れ去るか、2つの敗北があります。
 我々は、先主孫策公を破られた哲坊殿を認めることにしたのです」
諸葛瑾は、韓の諸葛亮の実兄で、
わが軍の諸葛靖とは従兄妹の間柄であることが後で分かった。

私は躊躇せず彼らを受け入れた。

 

222年-3月

それから1年後…
わが軍は、孫権たちの頼みを聞き入れ、
彼等の旧領である青州へ向け、船を進めていた。
青州・徐州周辺を押さえれば、揚州と北方方面の補給路が確保でき、
わが軍にとっても有利な状況になる。

それには韓(劉備)領を奪い、河北から攻め入る方法と
自領・呉に戻って建業から攻め入る方法で意見が割れた。
しかし、北から攻め入るには、韓軍と戦い、
その領地を手に入れてからでなくてはいけない。
韓軍を敵に回すとなれば、
先に呂布軍をわが軍とともに破った諸葛亮と戦うはめになる。
また、魏(曹操軍)に援軍を要請して韓を挟み撃ちにする戦略も検討されたが、
魏との関係は良好とはいえず、曹操が援軍を送るとは思えなかった。
たとえ勝ったとしても大きな損害を被ることは明白だった。
それならば、多少遠回りをしてでも南へ渡り、呉へ上陸して兵を整え、
建業から攻め上るほうが良いという意見が大半を占めていた。

しかし、そこへ先頃わが軍に加わった陸遜が、
大胆にも楽浪から船を出し、一気に青州・城陽を攻め取る戦略を進言した。

先月、漢中にいたわが軍師・法正が病死していた。
私は軍師の後任に、この陸遜を指名したのである。
39歳と、わが軍中の主力では若い部類に入るが、
その才知は誰もが認めるところであった。

予想もしなかった戦略だったが、これには敵も虚を突かれるに違いなかった。
わが軍は、北平、楽浪に数万ずつの守備兵を残し、楽浪の港から、
大挙して青州へ乗り込んだのである。

案の定、魏軍は、わが軍の突然の来襲にあわてふためき、
防備も万全でなく、次々と後退していった。わが軍は、難なく青州を占拠した。
続いて、於我(おが)蔡援紀(さいえんき)幽壱(ゆうわん)らが
徐州に侵攻し、これを制圧。
魏軍の太守・曹叡は、命からがら逃げのびた。

わが軍は、青州と徐州を得たことで、
北・遼東と南の揚州の補給路を確保することができつつあった。
あとは人心集握と土地の整備につとめることだ。

「魏の大軍が徐州へ!」
太郎丸(たろうまる)からその報を聞いたとき、にわかには信じられなかった。
魏軍は先日わが軍に蹴散らされ、撤退したばかりであったのだ。
しかし、魏軍はわが軍に奪われた領地を取り戻すべく、
驚くべき速さで侵攻してきたのである。
徐州・カヒ城には、於我、蔡援紀、幽壱ら5万の兵が留まっていたが、
そこへ西の魏領から精鋭15万が攻め入ったのだ。
「敵軍の大将は誰であろう…」
私は陸遜に尋ねた。
「斯様に迅速に兵を動かせるのは、
 曹操自ら来たか、司馬懿しか考えられませぬ」
陸遜は即座に答えた。
司馬懿は、先年病死した荀イクの後に、曹操の右腕となった男である。

「そうか…曹操も本腰を入れて来たのだな。
 よし、ただちに徐州に援軍を出そう。上総介(かずさのすけ)
 建業の紺碧空(こんぺきくう)許西夏(きょせいかに使いを出し、
 南からも徐州に援軍を送るよう伝えるのだ」
「はい」
上総介は使い番を集めた。
「徐州には、私自らが行こう」
「哲坊殿自ら?」
紋次郎(もんじろう)が、驚いた様子で言った。
「うむ。徐州は、南北をつなぐ要衝だ。
 曹操に取り返されれば、揚州も危うい。
 皆で於我らを助けに行こうではないか」
かくして、私は参謀の陸遜と、諸葛靖(しょかつせい)、上総介、
紋次郎、太郎丸、周泰を連れ、10万の援軍を率いて徐州へ向かった。
北海は荒賢(こうけん)セバス伊那猫(いなねこ)、餡梨、
孫権、諸葛瑾らに堅く守らせている。

「な、なんだと!」
徐州へ入ったとき、紺碧空の守る建業が、魏軍の猛攻にさらされている、
との報告が入った。
「寿春の夏侯惇軍10万に、紺碧空軍苦戦とのこと!」
「それでは援軍どころではないではないか…」
「魏軍め、なんという速さだ」
わが軍の将兵らに動揺が広がりつつあった。
私はそれらを鎮めると、さらに南へ向かおうとした。
その時である。
前方から無数の軍馬が現れ、いきなり襲いかかってきた!
そして左右からも伏兵がどっと沸き出した。
「魏軍です!」
諸葛靖が叫んだ。

どうやら我々の行動は、すべて読まれていたようである。
突如湧き出した魏兵の攻撃に、わが軍の兵士たちは次々と討たれた。
わが軍は支えきれず、じりじりと後退した。
私や諸葛靖の眼前にも敵兵が迫り、剣をとって応戦した。
「哲坊、覚悟!」
曹仁、馬岱、張コウと名乗る敵将が、次々と目の前を遮った。
わが軍の兵が、必死になって彼らを取り囲み、打ちかかる。

わが軍は、3分の1の兵を失い、小山の上に追い詰められた。
ふもとは、魏の大軍にすっかり取り囲まれている。
「まんまとはめられたな…」
私は苦々しげにつぶやいた。
この状況では、陸遜や諸葛靖、上総介も良策は浮かばないようだった。

夜になり、わが軍を渇きが襲った。
携帯していた簡単な食事は摂ったが、水源を絶たれたために、
明日からの食料が心配される。
持久戦になればなるほどわが軍は餓えと渇きに苦しむことになるのだ。

「哲坊殿、このままでは我らは飢え死にござる。
 山を駆け下り、夜襲を仕掛けましょう」
紋次郎が進言した。
「それは危険です。彼らは、わが軍の夜襲を予測し、
 てぐすね引いて待ち構えているでしょう」
諸葛靖が諌めた。
すると太郎丸が、
「こうしている間にも、カヒと建業が落ちているやも…」
心配げな顔で言うのだった。
「うーむ…」
私は思案した。確かにわが軍が行かねば、徐州のカヒも建業も危ない。
「青州の孫権殿に増援を依頼し、ここの敵を一掃せねば道は開けませぬな」
陸遜が言った。
「しかし、ここの囲みを突破するは、容易でないぞ」

「その役目、それがしにお命じくだされ」
しばしの沈黙の後、紋次郎が名乗り出た。
「紋次郎か。そなたなら囲みを突破できるやもしれんが、危険だぞ」
「なんの。これまで戦場で幾度も死にかけ、
 その度に生き延びたそれがしでござる。
 必ずや、この包囲を突破し、青州まで走ってみせまする」
「待て。やはり危険すぎる…」
「哲坊殿。このまま手をこまねいているのは、わしの性分に合わんのです」

「拙者も、共に行きます」
周泰が進み出た。
孫権の旗本をつとめていた猛将である。
「周泰殿、貴殿は、殿の側にあって、護衛をしていてくだされ。
 拙者が、紋次郎殿とともに行こう」
太郎丸であった。

「生きて戻れよ」
私は、言った。
「必ず…」
2人は頷いた。

翌朝、わが軍は一斉に山を駆け下りた。
高きより攻め下る勢い破竹の如し…とはいうものの、
数の上から言っても、突破は容易ではなかった。
幾重にも包囲された魏の陣容を崩すには、
確かに援軍に外側から突かせる必要があると思われた。
戦いたけなわの頃、紋次郎、太郎丸隊数千が、一気に
敵陣の奥深くへ突入した。
そのまま突破し、青州へ抜けるのが目的である。
しかし敵の包囲は固く、なかなか突き破ることができない。

「推参なり、紋次郎!」
敵将・馬岱が、紋次郎めがけて突っ込んできた。
「馬岱か!久々だのう。今日こそ決着をつけてくれる!」
紋次郎は応戦した。
そこへ、曹仁が加勢した。紋次郎がたちまち劣勢になった。
周泰が飛びかかり、曹仁と矛を交えた。
太郎丸が張コウに執拗に狙われ、進軍できない。
山上への退路は確保しなくてはならないので、
わが軍の本隊は、あまり前に出ることはできなかった。

わが軍は必死に紋次郎、太郎丸隊の援護に回った。
「うおおーーー!」
数十合打ち合った末、
紋次郎はいきりたって、馬岱に渾身の一撃を振り下ろした。
槍で受け止めた馬岱であったが、紋次郎の青龍刀は、
馬岱の槍を両断にし、そのまま馬岱の肩口から胸をざっくりと斬り下げた。
「み、見事、紋次郎…」
馬岱は白目をむいて落馬した。

紋次郎は一瞬、好敵手の死を惜しむかのような表情を見せたが、
すぐさま馬に鞭打って敵陣に斬り込んだ。

紋次郎、太郎丸の姿が敵軍に呑まれ、見えなくなった。
私は心配になり、周辺の兵とともに山上へと退いた。
高い位置から見下ろすと、彼等の姿を捉えることができた。

そのうちに、魏軍の一部が紋次郎らの動きに気づき、
彼等の行く手に立ちふさがった。
「いかん…敵軍の包囲が厳しくなっている」
私はつぶやいた。

紋次郎、太郎丸は、すでに半数以上の兵を失っていた。
「紋次郎殿、こうなれば、少しでも多くの兵が突破できるよう、
 どちらかが、おとりになって敵を引き付けるしかないな」
太郎丸が言った。
「では、わしが敵を引き付けよう」
紋次郎は頷いた。
「死ぬなよ」
「承知!」

紋次郎が進み出た。
多くの兵が群がり寄った。
わずかな隙間を縫って、太郎丸と何人かの騎兵らが横へそれる。
「この紋次郎、一世一代の戦いを見せてくれるわ!!そこをどけい!」
紋次郎は、群がり寄る雑兵を次々と斬りふせた。
さすがの魏兵も、その青龍刀の前に恐れおののき、
立ちふさがる兵は次第にその数が減っていた。

「!」
突然、紋次郎の右胸に矢が突き立った。
前方を見ると、数十人の兵が弓に矢をつがえて待ち構えている。
「突っ込め!」
紋次郎は構わず兵らに命じた。
数十条の矢が一斉に放たれた。
それらは、紋次郎の兵らをことごとく捕らえた。
紋次郎のみならず、馬にも無数の矢が突き立っていた。
しかし、紋次郎の馬は、速度を落とすことなく突き進んだ。
「青州に着くまで死ねんのじゃあ!」
後列の弓兵が、ふたたび矢を放った。
十数本の矢が、紋次郎の体を捕らえた。
紋次郎は、弓隊のど真中に割って入った。
「うわぁ」
弓兵らが総崩れになる。

その脇を、太郎丸と数騎の兵が通過した。

「太郎…丸……どの…頼んだ…ぞ…」
紋次郎は力尽き、落馬した。

包囲などどうでも良かった。
紋次郎を助けなくては!
私は、力押しに敵中を突き進んだ。

周泰が、まわりの兵らを突き伏せ、蹴散らす間に、私は前進した。
「…紋次郎!」
そこには、全身に無数の矢を浴びた紋次郎が横たわっていた。
私は、馬を降り、紋次郎に歩み寄った。

周りを兵らが囲み、敵兵らと応戦している。

「紋次郎!」
私が抱き起こすと、紋次郎はかすかに目を開き、にやりと笑った。
「哲坊…殿…。太郎丸殿は…無事青州へ…」
「おお、見ておったぞ。さあ、陣に戻って手当てをしよう」
諸葛靖もやってきた。
「紋次郎殿…」
「諸葛靖、手を貸してくれ」
紋次郎を馬に乗せようとすると、紋次郎は、私の手を掴んで、
自分の胸元に引き寄せた。
「心の臓が…バクバクと波打っております…
 この矢には…毒が…塗ってあるようじゃ…」
「紋次郎…」
「哲坊殿…どうやら紋次郎…ここまでにござる…
 願わくば…その覇業……最後まで…見たかったものじゃ…」
「紋次郎殿!」
諸葛靖は涙声だ。
「しょ…かつせい…どの……哲坊殿を…頼みましたぞ…」
「紋次郎…!死ぬな!
 紋次郎ーーー!!」

涙が両の目から溢れ出していた。
私はそれを拭うこともせず、紋次郎の名を叫び続けていた。
しかし、紋次郎の目は二度と開くことはなかった。
紋次郎は、52歳の生涯を戦場で終えた。
 

同じ頃…。
徐州のカヒに立て篭もった於我、蔡援紀は、
魏軍の誘いに乗り、野外戦に討って出ていた。
南の建業が、魏の大軍に攻め込まれたと聞き、於我と蔡援紀は、
城の守りを幽壱に任せ、救援に向かおうとしたのである。
しかし、援軍はたちまち魏軍に取り囲まれた。
魏の司馬懿は、大軍を寿春から建業に派遣すると同時に、
小沛からは徐州にも密かに軍勢を差し向けたのだ。

かくして、哲坊軍は司馬懿の策にはまり、
青州、徐州、建業すべてに攻撃を受け、その連携を絶たれたのである。

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