三國志VII 奮闘記 19

 


223年-7月

夏。
は、怒りにまかせて魏を攻めていた。
怒涛のごとく押し寄せるわが軍の前に、魏軍は次々と崩れた。
魏王の曹操が病死してのち、跡を継いだ曹丕は、漢を廃して皇帝を名乗った。
配下の中には、魏を攻めるに良い口実ができたと喜んだ者もいたが、
私は、そんなことはどうでも良かった。
昨年、戦死した紋次郎(もんじろう)、於我(おが)の敵討ちのつもりであった。
わが軍は、圧倒的な兵力で瞬く間に寿春を攻め落とした。
私はそれでも満足せず、続いて汝南に攻め入った。
さすがに、魏の抵抗は激しかった。
呂布にやられた古傷が悪化し、
体調が万全ではなかった甘寧が、夏侯惇に討たれた。
寿春を落とされた夏侯惇は、最後の意地を見せたのである。
その夏侯惇は、陣中で病を得てまもなく死んだ。
わが軍は一気に攻め立て、汝南の城を落とした。
守備軍の将・曹爽は肝を潰して逃走し、
遮二無二突きかかってきた夏侯惇の子・夏侯楙を、私は自ら斬って捨てた。
わが軍は、魏軍が逃げ去った後の汝南の城へ入った。

城内には、夏侯惇の娘・伏姫(ふせひめ)がいた。
兵らに縄をかけられて、私の前に引かれてきた。
「久しぶりだな、伏姫」
私は、兵にいって縄を解かせ、声をかけた。
伏姫は、冷たい表情で神妙にしている。
「大将の曹爽は、早々と逃げ出したそうだな。
 お主は、何故逃げなかった?」
伏姫は、長い沈黙ののち、答えた。
「…父は死にました。弟(夏侯楙)も死にました。
 私は、この先、何を頼りに生きていけばよいのでしょう。
 願わくば、わが君ではなく、
 貴方様…哲坊様に殺していただこうと、待っていました」 
私は、驚いて彼女を見た。
「私が断ったら、どうする?」
伏姫は、答えない。
「弟の仇を取ろうとは、思わぬのか?」
「……弟は、父と全く似ていませんでした」
伏姫は、首を振った。

「生きよ、伏姫」
私はいった。
「わが軍に加わってくれるにこした事はないが、
 その気がないなら、明日の朝までに立ち去るがよい。
 明日、私の前に顔を見せたなら、そなたを家臣として認めよう」

夜が明けた。
伏姫は、姿を消していた。
「曹丕のもとへ逃げたのでしょうか…」
そばにいた上総介(かずさのすけ)がいった。
私は、少々後悔した。
が、あからさまに歓迎の意を示しても、伏姫は応じなかったであろう。
私は、伏姫が曹丕のもとへ帰ったとも思えなかった。

224年-1月

年が明けて間もなくのこと。
汝南にいた私に、急報が届いた。
韓(劉備)軍が魏の領地・長安を衝き、攻め落としたのだ。
両軍は秋頃から睨みあったまま膠着状態が続いていたが、
諸葛亮の軍略が、司馬懿のそれを上回り、ついに打ち破ったというのだ。
「しかし韓軍も、名将・関羽が戦死するなど、
 かなりの被害を被ったようです」
紺碧空(こんぺきくう)が、続けて報告していた。
「むう、関羽がのう…。会ったことはないが、音に聞こえし名将だ。
 まさか、一騎討ちで敗れたわけではあるまい?」
「は。それが、魏将・幸村(ゆきむら)なる者と勝負し、
 一進一退の勝負ののち引き分けました。
 しかし数日後、その時に受けた刀傷がもとで…」
「幸村……」
私は、いつかも聞いたその名が妙に気になった。

「幸村だと…!」
傍らにいた荒賢(こうけん)が驚いた様子で叫んだ。
荒賢は双刀の使い手で、もと呂布に仕え、
北平での戦の後にわが軍に加わった。
口数こそ少ないが、紋次郎、於我亡き今、
わが軍きっての猛将として名を知られるようになった。

「荒賢殿。何か知っておられるのですか?」
許西夏(きょせいかが尋ねた。
諸将が集まってきていた。
「うむ。ご主君、曹操との戦で、赤い鎧の騎馬武者を
 見たことはござらんか?」
荒賢がこちらを向いて、いった。
私は記憶をたどった。

「あっ」
餡梨(あんり)が、思い出したようにこちらを見た。
私も、はっきり思い出していた。
あれは…何年前だったか、長安を一度は奪取したわが軍が、
その後すぐに曹操軍の攻撃を受けたとき…。
私の陣目がけて、一直線に突き進んでくる真紅の若武者がいた。
あの若者は、私に並々ならぬ殺意を抱いていたように見えた。
わが軍の兵をまったく寄せ付けぬ、すさまじい戦いぶりが目に焼き付いている。
しかし、私は恐怖心どころか、
何故か一種の親しみのような感情を覚えてしまったのだ。

荒賢がつづけていた。
「実は俺は、かつては曹操軍にいたこともあるのだ。
 そして、その、幸村とともに劉備の軍と戦ったことも…」
「…そうだったのか」
「あの頃、奴とはよく武術の稽古をしていた。
 最初は、互角ぐらいの腕前だったのが、奴の上達は驚くほど速かった。
 1年もすると、奴は俺なんぞまったく歯が立たないほどの猛者になっていた。
 ある日、劉備軍との戦があった。敵将は関羽だった。
 関羽は、俺達…曹操軍の将を次々と血祭りに上げていきやがった。
 俺達は、関羽の武勇に畏れをなして声も出やしない。
 だが、そこへ幸村が突然駆け出していった」
諸将は、荒賢の話に聞き入っている。
「ところが。奴でも関羽にゃ、まだ勝てなかった。
 関羽の刀を受けるだけで精一杯だったんだが、
 そこへ駆けつけた夏侯惇と許チョが加勢し、危ういところを助けたんだ。外伝4参照)
 やがて俺は、さらに強くなろうと呂布殿のもとへ行った。
 そのとき、一緒に行かないかと幸村を誘ったんだが、奴は首を振った。
 その後のことは知らんが…
 あの時はかなわなかった関羽と互角に…
 いや、結果的には殺しちまったっていうのか…」
荒賢は思い返しながら、一気に喋った。
「あの小僧が、か…」
荒賢が話し終えると、セバスが髭を撫しながらつぶやいた。
セバスも、昔は曹操に仕えており、荒賢とはかつて同僚だったと聞いたことがある。
セバスはかつて、山賊に化けて幸村を襲ったときのことを話した。外伝3参照)

何人かの将が、幸村の戦いぶりを思い出し、身震いした様子だった。

長安の戦は、明暗を分けた。
趙雲の軍に捕らえられた司馬懿は、あっさりと韓に降った。
魏は、濮陽の戦でも韓に敗れ、著しく国力を衰退させた。
曹操の死は、魏にとって大き過ぎる打撃であったようだ。


春を迎えた。私は、汝南にいた。
ある夜のこと。
諸葛靖(しょかつせい)、上総介、餡梨らと談笑しつつ夕食をとっていると、
突然城外で大きな爆発音が鳴り響いた。
兵らが慌てて様子を見に駆け出していった。

間を置き、また爆音が轟いた。今度は城のすぐ近くであった。
城内は、ちょっとした混乱に陥った。
近習らが出払い、部屋には諸葛靖と何人かの兵だけが残った。
「すごい爆音だったのう」
「敵襲でしょうか…」
心配そうな顔で諸葛靖がいう。私も様子を見ようと、部屋を出た。
その途端、黒い影が目の前を横切ったかと思うと、
光るものを投げつけてきた。
それは、私の頬を掠め、背後の柱に刺さった。
十字の形をした、小さな刃物だった。
振り返ると、影はすぐ近くに迫り、斬りかかってきた。
私は、咄嗟に身をかわした。
「ぐわっ!」
背後にいた兵が斬られた。
「何者だ!」
影は答えず、地面に何かを投げつけた。
「バン!」という音がして、もうもうと、煙が立ち込めた。
煙はたちまち我々を包んだ。煙が目に入り、息が苦しい。
ゴホゴホと、咳き込んでいる者もいる。まともに吸い込んだのだろう。
私は涙目になりながら、周りを見回した。
影が、またもや飛びかかってくるところだった。
見れば、影は黒い装束に身を包んだ小柄な男であった。
私は、男の攻撃をかろうじてかわしたものの、足を滑らせ体勢を崩した。
そして、足元にあった階段を踏み外し、転落した。
階下の床に嫌というほど叩きつけられた。
激痛に息がつまった。
どうやら頭を打ったようだ。
かすむ視界の隅、男が階段を駆け下りてくるのが見えた。
男は、階段の中央あたりで立ち止まり、私を見据えた。
顔は覆面で覆われており、目だけが白く光っている。
感情のない目だった。何故か、見覚えがあるように感じた。
男は、ゆっくりと近づいてきた。小刀を逆手に握っている。
体が、動かなかった。私は死を覚悟した。

「ご主君!!」
荒賢の声だ。
同時に大勢の足音が聞こえた。重臣らが廊下を走り戻ってきたのだ。
黒装束の男は、それに気づくと舌打ちをし、素早く階段を駆け上がった。
「殿!大丈夫ですか!!」
伊那猫(いなねこ)太郎丸(たろうまる)が私に走り寄ってきた。
「曲者ぞ、出会え!!」
荒賢、周泰、セバスらが、数人の兵とともに男の後を追い、登っていった。
私は、気を失った。


気がつくと、まだ階段の下にいた。
気を失っていたのは、ほんの短い時間だったようだ。
動かさぬほうが良いと判断したのだろう。
階段のもとに枕が置かれ、寝かされていた。
「ご主君、気がつかれましたか」
「ああ、すまん……あの男は…どうなった?」
「は。それが…奴はとんでもない使い手でした。
 後を追った兵ら13名が死亡、8名が重傷を負いました…。
 素早い身のこなしに、我々は手玉にとられました。
 我々は、奴を城壁まで追い詰めたのですが、驚いたことに、
 奴は城壁のへりに足をかけ、そのまま飛び降りて逃げたのです。
 城下をくまなく探しているうちに、
 やがて1人の女が、その男を捕らえて連れてきました」
太郎丸が状況を説明した。
「と、捕らえたと…?」

私は、家臣らの肩を借りて、広間に戻った。
そこには、縄をかけられた黒装束の男が座らされていた。
そのそばには、同じような格好をした女が立っていた。
我々が入って行くと、女が顔をあげた。
女は、蔡援紀(さいえんき)だった。


「……………!」
私は、その顔を見たとき、忘れていたことをすべて思い出した。
頭をひどく打ちつけたせいで、眠っていた記憶が蘇ったようである…。

この装束姿の蔡援紀を、私ははるか昔にも、確かに見たことがあった。

「蔡援紀…!お主は……!!」
蔡援紀が、はっとして私を見た。
なんということだ…。私は一体…。

「ようやく思い出したのですか、哲坊殿」
蔡援紀がいった。少し喜んでいるようにも見える。
「そう。私は、あなたの敵・真田一族家臣、桂原家の娘・彩乃(あやの)。
 
あなたを追って、この国に来た」
家臣らは、何が何だがわからない様子で、私と蔡援紀の顔を見比べている。
「ここにいる信幸
(のぶゆき)殿の両親の仇を討つために、
 あなたを追ってきたの」
「の、信幸?」
初めて聞く名前だ。
「あの戦の時、あなたが殺した男は、この人の父。
 仇を取るべく、斬りかかってきて逆に斬られた女が、この人の母よ」
蔡援紀は、男を示しながらいった。
私は、発する言葉が浮かばず蔡援紀 ― 彩乃 ― の顔をじっと見ていた。
「信幸殿」
彩乃が声をかけると、うなだれていた黒装束の男が、顔をあげた。
鳳凰(ほうおう)!!」
餡梨が叫んだ。
黒装束の男「信幸」は、鳳凰だった。
鳳凰は、一瞬、餡梨の顔を見やったが、気まずそうに視線を外した。

そうだ。
私は、あの島国で倭国と戦った。
初陣であったが、手柄を立てた。
(やまと)の国の豪族・真田一族の族長の義弟を討ち取ったのである。
もっとも、武芸の未熟な私がひとりで斬ったのではない。
武に熟達した将が致命傷を与えたところを、初陣の手柄とさせるべく、
私にとどめを刺させたのである。
その後、斬りかかってきた女までも斬ってしまったのは、
初陣で気が昂ぶっていたためである。
しかし、やらなければ、私が斬られていたであろう。
敵も味方も、族長の弟夫妻を斬ったのは哲坊だと信じこんだ。
私は、そのおかげで報酬を得た。
母にも、良い衣服と食物を与えられるようになった。
戦に明け暮れるあの国で生活の安定を図るには、
戦で手柄を立てることだけが手段であった。
父は、すでにいなかった。
やはり倭との戦で命を落としていた。
数年後、母が死んだ。
倭の刺客に襲われて。
両親を失った私は号泣した。
2人とも、倭国の奴らに殺された。
誰が悪い?倭国か?
いや違う。戦が悪いのだ。
悲しいことを生み出すのは、戦のせいだ。
私は、狗那国の武の象徴である、
龍の方壺を盗み、壊してしまうことを決意した。
実行するまでには時間がかかったが、私は壺を盗みだした。
壊そうとしたとき、あの男に呼び止められた…。

そこまで回想したとき、上総介(かずさのすけ)が蔡援紀に尋ねていた。
「蔡援紀殿、あなたはカヒの南で徐晃軍に捕らわれたとばかり…
 今まで何処におられたのです?」
「ええ。私は確かにあの時、徐晃の軍に捕らえられました。
 捕虜となったからには、於我殿を追って死ぬつもりでした。
 しかし、敵方には
新荘(しんじょう)という男がいました。
 私は、以前、餡梨殿が北平に来られ、信幸殿が、
 新荘の配下になっているという話を聞いたときのことを思い出し、
 わざと新荘に降りました。そして、許昌で信幸、幸村殿と会ったのです。
 彼らは、真田一族に育てられた兄弟の間柄です。
 2人は、新荘の術によってすっかり洗脳されていました。
 2人はもともと哲坊殿を討つために、この国に来たのですが、
 新荘は、それを忘れかけていた幸村の記憶を呼びさまし、さらには、
 真田一族の戦士の血を増幅させ、哲坊殿に対する憎悪の念を植え付けたのです」
「………」
諸将のうち、何人かは彼女の話を理解したのか、神妙に聞いている。
「私は、この話を新荘の同僚・香香(しゃんしゃん)に聞きました。
 私は、新荘、香香に身の上を打ち明け、
 2人とともに哲坊殿を討つために、許昌を出て来ました」
彩乃は、鳳凰を見た。
鳳凰は、憮然とした表情で彩乃を見返した。
「しかし、蔡援紀殿。あなたはこの男を捕らえた…」
今度は諸葛靖が尋ねた。
「私は…一度は使命を捨て、哲坊殿に仕えました。
 しかし…それは味方に入り込み、密かに哲坊殿を討つ目的があったのです…」
近習達が、はっとして剣に手をかけた。
私は、それを手を上げて制した。
「信幸殿、幸村殿とともに哲坊殿を討つべく、ここまで来たのですが、
 私はいざとなると、できませんでした…。
 あの人が…於我殿が命をかけて仕えた…哲坊殿を、殺すことなど…
 もはやできなくなっていたのです…」
彩乃の双眸に涙が溢れた。
「実は、哲坊殿を直接襲ったのは幸村殿です。
 私が捕らえたのは、脱出に遅れた信幸殿です。
 幸村殿は、私の腕ではとても捕らえることはできません…」
彩乃はいった。
「哲坊殿。この人は、私が倭に連れて帰ります。
 どうか、命だけは助けてあげてください」
私は、鳳凰を見た。
観念したような表情だった。
私は、縄を解かせた。
鳳凰 ― 信幸 ―は、うなだれたまま動かなかった。
しかし突如、素早く起き上がり、側に立っていた兵士の剣を奪うと、
私に斬りかかってきた。
そこへ周泰が立ちふさがった。
信幸は回り込もうとしたが、たちまち兵らに包囲された。
進退窮まった信幸は、自ら腹に剣を突き立てた。
「信幸殿!!」
「鳳凰!!」
彩乃と餡梨が、同時に叫んだ。
信幸は、苦痛の表情を浮かべつつ、私を見た。
「ははは…哲坊……無念じゃ……。
 しかし…幸村が生きている限り…お前は必ず死ぬ…
 あやつは、俺と違い…武術も忍びの腕前も…一流だ……
 警備をどんなに強化しようとも…必ずお前のもとに…来る…」
突き立てた剣を横に動かし、自分で腹をかっさばいた。
おびただしい出血とともに、信幸は倒れた。
「鳳凰!」
餡梨がかまわず、駆け寄り、抱きかかえた。
信幸の顔はもはや蒼白くなっていたが、かすかに驚いた表情を浮かべた。
「母…上……あなたには…感謝している…お許しくだされ…」
信幸はやっとの思いで微笑むと、がくんと首を後ろに垂れた。

将兵らは、目前で語られたことと起こった出来事に、
しばし呆然と立ち尽くしていた。

と、側でうつむいていた彩乃が突然倒れた。
「蔡援紀殿!」
諸将が、抱き起こしに駆け寄った。
ひどい高熱であった。
周泰らが、彩乃を病室へ連れていった。
その夜、彩乃の容態は急に悪化した。
私は、彩乃の枕もとにいた。
「哲坊殿……こんな形で…あなたと話すとは思わなかった…」
「私もだ、彩乃」

私は、彩乃の意識を保たせようと、話しかけた。
「彩乃、ひとつ教えてくれ」
「なに?」
「いつかお主はいったな。『あの方が私を殺す』とな。あの方とは誰だ?」
「……
桂原豊殿。桂原家の次男で、私の従兄…
 北平へ行けば会えると思ったのだけど、いなかった…」
彩乃は、ゴホゴホと咳き込んだ。
私は、背中をさすってやった。
先刻、大量の血を吐いていた。
「私は…もう駄目…。どうか、幸村に気をつけて…
真田一族の一人前の戦士は、素手で、人を殺せる…」
「何を申す。寝ていればじきに治る」
彩乃は首を振った。
「これは持病よ。熱が、いつもよりひどい。
 もう…助からないわ…」
諸葛靖、上総介、太郎丸らも心配そうな面持ちで立っている。
「どうなのだ?餡梨」
医術の心得のある餡梨に尋ねたが、
餡梨は、泣き出しそうな顔をして、後ろを向いた。
「そうか……」
「哲坊殿……私は、あなたに仕える於我殿を見て、
 臣下として生きる道を初めて知った…
 於我のぶんも、私のぶんも、頑張ってね………」
「ああ……ああ……」
私は、こみ上げてくる涙をこらえながら頷いた。
こらえきれなかった。
涙が、頬を伝っているのが分かった。
彩乃は、私の手を力強く握っていた。
その力が、急に抜けた。
蔡援紀こと彩乃は、その夜、静かに息を引き取った。

翌日、彩乃と信幸の棺を、呉へ送った。
倭に近い、海へ沈めてやるためである。
その役目は、餡梨が名乗り出た。
彼女は、海を渡るという。
2人と、私の祖国を、見てみたいというのだ。
「気をつけるのだぞ、餡梨」
「はい…哲坊様。皆様も、お達者で…」
餡梨は、女としては大柄な体を折って一礼すると、
数百人の兵を従えて、東へ去っていった。
我々は、その葬列が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。

224年-7月

私は、汝南から新野に移り、魏領・宛を攻めていた。
私は、この国に来た使命を思い出していた。
その使命を達するには、長安を再び落とさねばならない。
その長安は、いまや、韓の領地となっていた。
そして、韓の勢いは留まるところを知らず、
長安から、わが領の安定に侵攻していた。
安定には董允、兀突骨らがいたが、諸葛亮の敵ではなかった。
董允は逃げ延びたが、兀突骨は捕まり、韓に降った。
瞬く間に安定を落とされ、わが軍に緊張が走った。
安定から西、涼州方面まで制圧されると、面倒なことになる。

私は、急いで長安の南、宛を落とすべく出兵したのである。
陸遜、諸葛靖、紺碧空、太郎丸、加礼王(かれいおう)、荒賢、
上総介、セバス、伊那猫、魏延、周泰、孟獲、祝融らとともに、
30万の兵で宛を攻め、これを落とした。
宛の守備軍・張魯、張コウらは、東へ逃走した。
いよいよ、長安にて韓軍、そして諸葛亮と対決するときが来たのである。

 

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