三國志VII 奮闘記 2

 

於我にそそのかされ、無謀にも乱世に名乗りをあげた哲坊。
だが周囲はいずれ劣らぬ列強国ばかり。さて、その運命やいかに…。


199年-2月

旗揚げから2年。
於我諸葛靖の3名は、零陵領内の治安維持につとめ、
農地の開墾と街の発展に尽力した。おかげでその間は、さしたる事件も
起こらず、平穏な月日が流れ去った。
しかし、ふと周囲を見回せば、荊州は劉表にほぼ支配され、
南は士燮
(ししょう)の軍が押し寄せて、逃げ場のない状態となってしまっていた。
士燮軍との関係は比較的良好であるが、もし劉表が攻めて来ようものなら、
今のわが軍勢ではとても太刀打ちできない。この状況を打破するには、
軍備を増強するほかにないのだが、如何せん人手が足りない。
そこで、於我、諸葛靖両名に人材登用を命じた。
もちろん、私自身も人材発掘に奔走する。
しかし、この零陵にはめぼしい人材はいないようだ。
ならば、他国から引き抜いてくれば良い。とはいえ、うまく行くだろうか…。
そんな矢先、建業(劉ヨウ領)に
呂蒙という剛の者、翠火(すいか)という聡明な女人、
また天水の馬騰の下には
太郎丸(たろうまる・字は兜)という
知恵者がいるとの情報が入った。3人ともまだ仕官して間もなく、
主君への忠誠心は薄いようだ。
早速、私は呂蒙、諸葛靖は翠火、於我は太郎丸をそれぞれ登用に向かった。
そして、私は呂蒙を引き抜くことに成功。武力(79)に優れ、
わが軍には頼もしい存在である。そして、於我も太郎丸を見事連れ帰って来た。
「仕えるべき人は哲坊様しかいないと思っておりました」
この台詞にはいささか面映い気がしたが、ともかく
太郎丸は冷静沈着な男で、騎馬兵を操ることができる貴重な存在だ。
諸葛靖は肩を落としつつ帰還した。翠火は思ったより強情だったようだ。
これは私が直接会いに行くべきかもしれない。
翌日、私は建業へと再び赴いたが、やはり翠火は忠義の士であった。
是非なく私は引き揚げるしかなかった。いずれ、また機会もあろう。

199年も暮れに入った。中央では相変わらず激しい争乱が繰り広げられていた。
まず、急激に勢力を伸ばしつつある曹操軍が、都周辺を牛耳っていた
李カク軍を攻め滅ぼした。そして、小覇王・孫策もまた
好敵手の劉ヨウをさんざんに撃ち破り、これを滅亡させ江東をほぼ制した。
翠火の行方が気にはなったが、我々は軍備の増強に追われ、
零陵を離れることができずにいた。

201年-1月

河北で強大な勢力を誇っていた袁紹が病死した。
息子の袁譚が跡目をついだため、今のところ、その基盤が揺るぐことはなさそうだ。
わが国の兵力も50000人を越えた頃、諸葛靖がこう進言してきた。
「義兄、わが国は劉表、士燮に挟まれて身動きの取れぬ状態です。
 このままではいずれ劉表に攻められるでしょう。ここは後顧の憂いを
 断つべく、士燮と同盟をむすばれてはいかがでございますか?」
その言を容れた私は、自ら士燮の本国へと赴いた。
始めは渋っていた士燮であったが、説得の末盟約を結ぶことに成功した。
しかも、互いに接している劉表の領地・桂陽をともに攻める約束も
取りつけることができた。これでようやく兵を動かせる。

翌月、私はついに劉表領の桂陽を攻めるべく、出陣命令を出した。
零陵の留守は呂蒙と諸葛靖に任せ、
私と於我がそれぞれ12000の歩兵、太郎丸が9000の騎兵を引き連れ、
合計およそ30000の軍勢を桂陽へ投入した。
反対の声もあったが、士燮の援軍を頼みにしての出陣である。
盟約通り、南海からは士燮の軍がともに攻め込んでくれたようだ。
桂陽は、太守の潘濬以下、蔡瑁、蔡和、傅巽といった武将たちが、
60000人の大軍で守っている。
こちらの兵力が劣ると知るや桂陽城付近の平地へ撃って出て来、野戦となった。

「ここは正面突破で一気に敵陣をめざしましょう」
参軍の太郎丸が進言したが、私は熟慮の末、南へ迂回し、
士燮軍と合流してから敵本陣へ迫るように下知した。
私が本陣を守りその場で待機、於我と太郎丸がゆっくりと進軍を開始、
南海方面へ迂回してから敵陣へ向かう。
しかし、なかなか士燮の軍勢が来ない。その間に、
長沙から劉表の援軍40000が到着してしまい、わが軍は窮地に立たされた。
10万と3万では勝負にならない。敵の援軍は、私の守る本陣めがけて
殺到してきた。於我と太郎丸は、敵陣深く進軍してしまっており、
戻ろうにも戻れない。敵の援軍の総大将は劉表の息子・劉キ。
聞くところによれば武勇とは縁のない男(武力19)だが、この状況では
馬鹿にできない。その下には韓暹、蔡クン、それに武勇に秀でた1人の女人が
従軍しているらしい。その4部隊が私の本陣に一気に襲いかかってきた。
劉キ軍の猛攻に、じっと耐えるうち、私は策をめぐらし、
知力に劣る蔡クンの部隊を混乱させることに成功した。
かつて、劉表に仕えた時に同僚だったため、
奴が単細胞(知力30)なのを私は知っていた。

その頃、太郎丸は蔡瑁や傅巽の部隊と交戦し、
於我は蔡和の部隊と刃を交えていた。
太郎丸隊は騎兵の機動力を活かして敵軍を巧みに撹乱、
がら空きとなった敵の砦を占拠した。砦は全部で4つあるが、
これを上手く活用すれば、なんとか持ちこたえることができそうだ。

その間も、私の部隊は敵の猛攻を受けていた。
「ご主君、このままでは全滅します。ここは一時兵を退くべきかと!」
近衛兵が進言したが、私はかぶりを振って、粘り強く士燮の援軍を待った。
於我、太郎丸は善戦していたが、一時進軍をあきらめ、本陣を守るべく、
じりじりと後退した。劉表の援軍の中で、例の女丈夫がそれと見て、
於我隊に向かっていった。なかなかに美形だが、気が強そうで恐ろしく腕が立つ。

「士燮軍到着!」その報に接したわが軍は奮い立った。
戦いが始まって6日後のことであった。
士燮軍は60000で、大将の士壱以下、木鹿大王、士徽、士匡といった面々。
中でも木鹿大王の象兵は圧巻であった。あの巨大な動物が
敵勢に突進するさまは見ていて恐ろしくなった。敵には回したくないものだ。
士燮軍は手勢を2つに分け、1手を敵本陣に、1手をわが本陣の救援に向けた。
そうなると、哲坊軍本隊を攻撃していた韓暹、蔡クン、劉キらは
挟撃された格好となり、もろくも崩れ始めた。
こちらの戦況有利と知ると、於我は敵の本陣を守る、潘濬の軍へと
一直線に向かっていった。女武将も、その後を追う。
有利になったとはいえ、敵は10万の大軍である。おいそれと撃ち破れるものではない。
そのうちに、戦い続けて兵力の少なくなっていた太郎丸隊が敵の陥し穴にかかり、
窮地に陥った。そこを傅巽の軍勢に攻撃され、
太郎丸はあえなく囚われの身となってしまった。

私は懸命に軍を叱咤し、本陣を守っていた。
わが隊は善戦し、韓暹、蔡クン、劉キの部隊の攻撃をなんとか凌ぎ、
逆に彼等を次第に疲弊させていった。この3名には戦場では負ける気がしない。

敵本陣には、木鹿大王、士徽(しき)、士匡(しきょう)に於我が加わり、
総攻撃を仕掛けていた。蔡瑁、傅巽、蔡和ら、敵軍も必死に反撃する。
しかし、敵将の潘濬は軍の指揮は苦手と見え、次第にその兵力を減らし続けていた。
乱戦の中、まずは士匡が蔡和の部隊を全滅させ、続いて於我が、暴れ回る例の女武将を
見事に生け捕りにした。そして、勢いに乗って潘濬隊を撃ち破り、敵本陣を占拠した。

桂陽城へなだれをうって敗走する劉表軍。わが軍は追撃し、城壁まで迫った。
潘濬に代わって指揮をとる蔡瑁はしぶとく城壁の上から岩石や矢を浴びせてきたが、
苦戦しながらも、激しく攻撃を加え、ついに城門を破った。
わが軍は桂陽城内へ突撃した。そして、私は怯える劉キと傅巽を生け捕りにし、
捕われていた太郎丸を救出した。蔡瑁は士徽隊が捕らえ、戦いは終わった。
わが軍は初陣を大逆転勝利で飾ったのである。戦功の第一は、於我であろう。

そして、捕虜となった敵将が私の前に引き据えられてきた。
まず、蔡和と傅巽の首を刎ねた。つづいて、劉キだ。
ひ弱そうな、細面の男である。こんな男は斬る気にもなれないし、
生かしておいても別段脅威ではない。ここは劉表に貸しをつくることにして、
縄を解いて放してやった。そして、於我が捕らえた女だが、
名前を聞くと、
蔡援紀(さいえんき)とぶっきらぼうに名乗った。
「私に仕えぬか?」と仕官を勧めたが、女はフッと笑みを浮かべ「殺せ」と言った。
配下の者は、斬るべきだと言ったが、私は何故かその気になれず、
自ら蔡援紀の縄を解き、解放してやることにした。彼女は一瞬戸惑いの
表情を浮かべたが、何も言わずに自領へ去っていった。
そして、元太守の潘濬だが、あまり評判の良くない男だ。
殺してしまった方が良いとも考えたが、今のわが軍には彼の政治力(83)は
無視できない。仕官をすすめると、案の定あっさり承服した。

協力してくれた士燮軍をねぎらって謝礼金を渡し、国へ返した。
呂蒙を零陵の太守に任命し、太郎丸をその補佐の為に移動させると、
私は於我、潘濬とともに桂陽に留まることにした。

202年-1月

桂陽の街の民心掌握や発展に奔走していると、
加礼王(かれいおう)が訪ねてきた。
彼は今や永昌の太守にまでなっていた。友が出世するのは気持ちが良いものだ。
加礼王と昔を懐かしんでいると、於我が1人の男を連れてきた。
虎の縦縞が入った毛皮を身にまとったその男は、
紺碧空(こんぺきくう)と名乗った。
呉の孫策の下から、於我が引き抜いてきたのだった。

あくる日、寿春の袁術が蔡を建国し、皇帝を自称したという情報が入った。
伝国の玉璽を持つのを良いことに、我がままの し放題という噂は、
各国に行き届いている。周囲の強国、孫策や曹操が黙ってはいまい。

夏、零陵の劉度という人物を登用した。
さして優秀な人物ではないが、まずは人だ。
勢力拡大には人材を集めることが重要になってくるだろう。

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