三國志VII 奮闘記 21

 


227年-4月

戦場は、深い霧で覆われていた。
兵たちは武器を握り締め、息をこらしたまま霧が晴れるのをじっと待っている。
「この霧は何とかならんのか…」
は、傍らにいるはずの諸葛靖(しょかつせい)にこぼした。
「日が昇る頃には晴れるでしょう。しかし、この霧は不吉ですね…」
諸葛靖が霧の中から近づいてきていった。
「不吉とな」
「ええ…」
「では一旦陣を退くかのう」
「いえ、敵は目の前。霧が晴れれば決戦となりましょう」
日ごろ冷静な諸葛靖ですら、この一大決戦に声が昂ぶっているのがわかる。
「義兄、今日は兜を着けてください」
「兜?」
私は普段、戦の時でも兜を着けないでいたのである。
「ええ、孔明のことです。どんな手を使ってくるか知れません」
「うむ。貴殿が言うならそうしよう」
「これで、最後なのですね…」
諸葛靖は黒髪を後ろに束ねながら、感慨深げにつぶやいた。
「ああ…そうだな。戦が、好きになったか?」
「好きではありませんが…これで義兄とともに戦うのが最後になると思うと…
 少し寂しいような気がするのです…」
「そうか。実は、私も少し、寂しい」
「長年、多くの戦場に出ながら、今日まで生き長らえてきました。
 30年前の選択は、間違っていなかったと思っています」
「おいおい、急に戦場で何を言い出すのだ。普段は無口のくせに」
私は少々照れた。
「すみません」
諸葛靖は、くすくすと笑った。
齢は私よりも上のはずだが、それを感じさせない無邪気さが、この女軍監にはある。
だが、やはり今日は、その表情にも寂しさが伺える。
「私とて、お主の才知にはずいぶんと助けられたものだ」

そういったとき、南方より喚声があがった。
ひとしきり喚いた後、再び静寂が支配した。
「魏延殿の部隊の方角ですね」
同じく傍らにいる上総介(かずさのすけ)がいった。
「矢でも放たせたか。しかし、後が続かんのう…」
洛陽の西にある函谷関の眼前、広い草原にて、
わが軍24万と、劉備率いる韓軍18万は対峙していた。
両軍は前夜のうちに布陣を終え、
夜明けとともに総攻撃の合図を待つ格好となったが、
目の前にいる者の顔すら見えぬ濃い霧が戦場を覆い、
大軍は身動きできずにいた。

「哲坊に物申す!朕、韓皇帝・劉玄徳なり!!」
突如静寂を破り、高い声が響き渡った。
「貴公に口あらば、答えるがよい!耳あらば、前に出て聞くがよい!」
その声に応える形で、私は左右の者らとともに前進し、
「おお、哲坊はここにあり!聞こう!」
声の限りに叫んだ。
人馬の列を割って、私は陣頭に出た。
「そも貴公、何ぞこの国を侵したるや!!」
劉備のよく通る声が、今度は至近から聞こえた。
「名分など無い!唯我、男の一念のみにて兵馬を戦わす!」
私は迷うことなく言った。
「ならば結構!朕はすでに帝、今さら漢復興などと奇麗事を
 ぬかす気はなし!正々堂々と今、最後の決戦を挑む!」
霧の向こうで、劉備が剣を引き抜く気配がした。

そのとき、にわかに風が吹き始めた。
徐々に霧が払われ、両軍は初めて、敵軍の布陣を目の当たりにした。
韓軍は、横一列に整然と連なっている。
対するわが軍は、鶴翼の陣を布いていた。
陣頭に、鎧兜をまとった韓皇帝・劉備がいた。
劉備は、大きな目で私をじっと見据えていた。

しばしの沈黙があった。私は再び、叫んだ。
「言われるか、最後の決戦と!」
「おお。この戦を以って乱世に幕を引こうぞ!」
そう叫ぶ劉備の瞳に、孤独さをひた隠す憂いのようなものを感じた。
兄弟ともいえる関羽、張飛亡き今、彼は死に場所を求めているのやもしれない。

「まずは一騎討ちを以って開戦としたいが良いか!」
劉備は言い放った。
「ふっ、妙に正攻法だな…」
劉備の左右を守っていた2将のうちの1将が進み出て、
わが軍めがけてひた走ってきた。
「われこそは関興安国なり!」

「出でよ!」
私は傍らにいた呂蒙に命じた。
「承知!!」
呂蒙は馬腹を蹴って駆け出していく。
両者はガツンとぶつかり合い、激しく矛を交えた。
激戦50余合、勝負はつかないが、老いた呂蒙がわずかに疲れを見せ始めた。
「老いぼれめ、下がれ!」
関興は、打ちながら一喝した。
「ふっ、若いな。荊州時代の頃の於我(おが)に似ておるわい!」
呂蒙は満面に大汗をほとばしらせながらも怒鳴った。
「だが貴公、於我には及ばんな!」
呂蒙は叫んで、槍を一閃、虚をつかれた関興は胸元をえぐられ、落馬した。

「おおおーっ!!」
わが軍の兵が歓声をあげた。
「おのれ!!」
劉備のもとにいた若武者がもう1騎駆け出してきて呂蒙に迫った。
張飛の子・張苞と名乗った。
と、わが軍からも1将進み出た。
「厳顔推参!!」
齢80にもなる老将である。
老若の両者は、槍を合わせて激闘に及んだ。
私は叫び、号令を下した。
「厳顔、無理をするな!彼を死なせてはならん。
 全軍突撃だ!」
「うぁぁぁーーー!」
わが軍は、韓軍を包み込むように一斉に攻撃を開始した。
しかし、それは韓軍の思うつぼであった。
側面に回り込んで攻撃を仕掛けたわが軍の両翼は、
韓軍が埋伏させていた弓兵、発石車といった中軍に狙い撃ちされ、
早々とその陣を崩されてしまったのである。
「しまった、正攻法は罠だったか…!」
諸葛亮の軍略にまたも、してやられた。

前方を見ると、厳顔が張苞の猛攻を防ぎきれず、
馬から転落したのが見えた。
「厳顔討ち取ったり!!」
張苞が叫び、韓軍は勢いを得て、突撃してきた。
私は、痛恨の思いで必死に軍を支えた。
左右の軍勢は持ち直し、なんとか韓軍の猛攻をしのいでいる。
しかし、前方は韓軍自慢の霹靂車、大弓車といった兵器の前に、
じりじりと後退させられていた。
「ご主君、支えきれません、ひとまず撤退を!」
前線から後退してきた太郎丸(たろうまる)がそばに来て叫んだ。
「うぬぬ…」
しかし、背後をとられれば被害はもっと深まるだろう。

「馬超見参!!哲坊、今日こそ、その首もらい受ける!」
正面に、黄金の鎧兜を身にまとった、見覚えのある騎馬武者が現れた。
馬超の軍勢に、わが本陣はさんざんに蹴散らされた。
「うぬぅ!この魏延が相手になるぞ!!」
本陣の加勢に来た魏延が、馬を飛ばして馬超に挑みかかった。
わが軍中でも魏延、周泰2将の武勇は軍を抜いていた。
韓軍の猛者・馬超、趙雲に、2将は匹敵するといわれている。
かくして、噂の猛将同士の一騎討ちが実現したのである。
魏延、馬超は自慢の槍技を存分にぶつけ合って激戦に及んだ。
五十合、百合…。両者は息を弾ませつつ、
好敵手との戦いを楽しんでいるかのようにも見える。
しかし、ここは戦場だった。
戦いたけなわ、馬超は魏延の渾身の一撃をかわすと、
体勢を崩している魏延の一瞬の隙をついて、その胴に槍を突き通した。
「がはっ!」
無双の豪傑・魏延といえども腹部を貫かれてはたまらず、
馬超が槍を引き抜くと、うめき声をあげて馬から転げ落ちた。
「魏延は馬超が討ち取ったぞ!!」
そして、さっと脇へ退き、背後で待機していた霹靂車部隊を呼び入れた。
無数の火矢と、大岩がその車には設置させていた。
その部隊の中央に、四輪車に乗った男が見える。
韓の軍師・諸葛亮に違いなかった。
諸葛亮は羽扇を振りかざした。
霹靂車が、一斉に火矢と岩を放った。
わが軍の兵馬は次々と倒れ、たまらず後退した。

馬超の部隊に蹴散らされ、本陣の前はがら空きとなってしまっていた。
そこへ、またも霹靂車の飛び道具が放たれた。
私の盾となってくれている兵たちが、バタバタと倒れてゆく。
私はただ歯がみをしながら耐えていた。
味方の増援部隊が、敵軍の背後に回るのを待つしかない。
私の周りには、諸葛靖、上総介、
加礼王(かれいおう)といった将がいたが、
身を固くして防御に徹していた。
「下がるな!」
私は必死に号令を下していた。
ガツン!
頭上に、何本もの矢が飛来してきては、兜、肩当てに当たって落ちた。
ハッとした。諸葛靖の助言のおかげで命拾いをしたのだ。
また、無数の矢が飛んできた。私の目の前にいた兵が数人、倒れた。
韓軍の霹靂車は、ゆっくりと前進を続けている。
矢の雨は容赦なく降り注ぎ、多くの兵の命を奪っていた。

「ああっ!!」
そのとき、真横から悲鳴が聞こえた。私は驚き、声のした方を見た。
諸葛靖の胸に、数本の矢が突き立っていた。
諸葛靖は、馬上で懸命に指揮をとろうとしたものの、後方に倒れた。
落馬した諸葛靖を、兵らが抱きとめた。
私は信じられないような面持ちでその動きを目で追っていたが、
「諸葛靖!!」
たまらず馬から飛び降り、駆け寄った。
諸葛靖は、苦痛に顔をゆがめている。
「おのれ!」
私は、敵陣の諸葛亮を睨みつけた。
と、諸葛亮は唖然としたような表情を浮かべ、動きを止めている。
一瞬、攻撃が止んだ。
わが軍は後退の機を得て、十里ほど退いた。
韓軍は何故か、それ以上追撃して来なかった。


「義兄……どうやら私は、これまでのようです…」
その夜、諸葛靖は陣中の寝台の上で、かろうじてつぶやいた。
「何を申す、諸葛靖。こんな傷は直に治る。そうしたら、もう一度、ともに戦うのだ」
私は、諸葛靖の前にひざまずいて励ました。
矢は抜いたものの、出血が止まらなかった。
軍医は、難しい表情で容態を診ている。
「義兄…」
「な、なんじゃ、諸葛靖」
私は、口元に耳を近づけて聞いた。
諸葛靖の双眸から涙が溢れ出していた。
「むかし…私には……夫がいました…」
「…………」
「夫は…義兄と同じ瞳の色をした倭人でしたが、
 賊に襲われて死にました…義兄と会う10年も前のことです…」
「諸葛靖……」
「私も…、いつか…倭へ……夫と、義兄の祖国へ…行ってみたかった………」
小さく続いていた諸葛靖の息づかいが、次第に途切れがちになった。
涙で、彼女の顔が見えなくなっていた。
「諸葛靖!」
「諸葛靖殿!!」
諸将もまわりに集まってきていた。
「義兄…この戦、必ずや……勝ってください…ね……」
諸葛靖のまぶたが、静かに閉じられた。

「諸葛靖ーーーー!!」

於我ととともに、哲坊軍を旗揚げ時から支えた功臣・諸葛靖が死んだ。
その夜、わが陣営は、深い静寂に包まれた。


2日後、わが軍は前日の雪辱を晴らさんがため、再び函谷間の手前に布陣した。
諸葛靖、魏延、厳顔を失い、将兵の軍装は白一色に統一され、雪辱に燃えている。
「必ず、勝つ」
私は、采配を振り下ろした。

わが軍は一斉に突撃を開始した。
霹靂車には正面から当たることを避けるため、別働隊を送り込んだ。
先鋒は、哲坊軍・新四天王筆頭の荒賢(こうけん)
左翼・右翼はそれぞれ四天王の一人、古参の知将・太郎丸幽壱(ゆうわん)
中軍には四天王の一人・加礼王。
それぞれの大将は武器を片手に駿馬にまたがり、陣頭に立っている。
先鋒の荒賢には、副将の
伊那猫(いなねこ)のほか、上総介が参軍として加わっている。
敵軍にいるであろう、
びーさる対策として、上総介は自ら先陣を申し出たのである。
本陣には、左右に
紺碧空(こんぺきくう)、許西夏(きょせいかがおり、守りを固めていた。
果たして、敵軍も関を開いて打って出てきた。
先鋒同士が激しくぶつかりあった。
敵の先鋒隊は廖化、
翠火(すいか)の2将であった。
まず荒賢が乱戦の中、廖化に打ちかかり、激戦の末にこれを斬って捨てた。
翠火は不利と見て退きかけたが、伊那猫、上総介が挟撃し、難なく生け捕りにした。
そこへ、新たな軍勢が立ちふさがった。
「上総介、ここで会ったが百年目!」
びーさるであった。
伊那猫が向かおうとしたが、上総介はそれを制し、単騎で打ちかかった。
上総介とびーさるの闘いは遠めには児戯のように見えるが、本人たちは必死である。
「びーさる、くぐり抜けてきた修羅場の違いね!」
やがて上総介が、びーさるを押しはじめた。
上総介がびーさるの短槍を弾き飛ばすと、びーさるは、たまらず馬から転げ落ちた。
しかし、びーさるに従う兵がそれを受け止め、彼女を陣中深くへ運び去ってしまった。
「ちぃっ!」
上総介は舌打ちしたが、後の祭りだった。
荒賢、伊那猫、上総介は、敵将・馬ショクの守る砦へ攻めかけた。

左翼の太郎丸・呂蒙隊は、趙雲、趙統、張広 親子の隊と激突した。
趙雲の次男・張広は、呂蒙の腕を知ってか知らずか、打ちかかってきたが、
十合ほど戦ったところで槍を捨てて逃げ出した。
「逃げるか、腰抜け!」
「では、趙子龍が相手だ」
笑いとばす呂蒙の前に姿をあらわしたのは、天下の勇将・趙雲であった。
趙雲は、先の戦でわが軍のセバスを突き殺している。
「おおっ、相手にとって不足なし、参るぞ!」
呂蒙、趙雲は矛を交えた。
その横では太郎丸が、趙雲の長男である趙統へ打ちかかり、
数合斬り結んだ末に見事、首をはねた。

右翼では幽壱・祝融の部隊が、張苞、夏侯和、豊水と対戦していた。
女丈夫の祝融は、張苞に名乗りをあげて喚きかかった。
激戦がつづき、祝融危うしと見た幽壱も加勢した。
そこへ夏侯和も加わり、入り乱れての戦闘となった。
そのうちに幽壱が、於我の形見である大刀で、夏侯和を串刺しにした。
張苞、
豊水は粘り強く攻撃をしのいでいたが、不利と見てやや後退した。

中軍では加礼王が、紋次郎の形見の青龍刀を振り回して奮戦、
夏侯恵を討ち取っていた。残った夏侯玄は恐れてじりじりと後退していた。
幽壱と加礼王が討った夏侯和、夏侯恵は、かつて曹操に仕えた猛将・夏侯淵の
息子たちであったが、武勇はさほどでもなかったらしい。
そこへ、敵軍の中から馬超が踊り出た。
すかさず加礼王が打ちかかったものの、しばし戦ううちに敵わずとみて駒を返した。
諸葛亮の霹靂車部隊は、函谷関から出陣していなかった。

「よし、前進するぞ!」
私は左右に命じ、紺碧空、許西夏とともに前進した。
しかし中軍では敵将・馬超が暴れまわっており、手のつけられぬ有様だった。
「だめだ、奴は手に負えねえ」
馬超に手ひどくやられた加礼王が、引き返してきた。
そこへ、勢いを盛り返した夏侯玄がどっと攻撃してきた。
私はとっさに前に出ると、剣をふりかざして叫んだ。
「哲坊はここにおるぞ!」
「おお、その首もらいうけた!」
夏侯玄、少し遅れて馬超が突き進んできた。
私は、夏侯玄の一撃を弾き返すと、脇腹めがけて剣を横に払った。
確かな手ごたえがあり、夏侯玄はどうと馬から転落した。
「哲坊、この馬超と勝負せい!」
馬超がすぐ手前まで来ていた。
「来い!」
私は自身たっぷりに言い放った。
私の背後で、弓兵数十人が一斉に弓を引き絞った。
「ぬう…!」
それを見た馬超は手綱を引いて止まった。
「馬超将軍、函谷関が敵の猛攻にさらされております!」
馬超の兵が、告げた。
馬超はそうと聞くと、舌打ちして踵を返した。
「殿、いつの間に函谷関を奇襲したのですか?」
紺碧空がいぶかしげに尋ねた。
「いや、おそらく陸遜の策略に違いあるまい。
 見よ、敵軍は右往左往している。この隙に突撃だ!」
わが軍は勢いを得て突き進んだ。

先鋒隊の荒賢、伊那猫、上総介隊は砦を落とし、馬ショクを捕らえていた。
そして、そのまま函谷関へと突き進む。
函谷関は、韓将・王平が守っていた。
馬超は、馬を飛ばして函谷関へ戻ってきたが、そこへわが軍の別働隊、
陸遜、周泰、姜維の軍勢が立ちふさがった。
「馬超、そこまでだ!」
陸遜が叫んだ。
「おのれ、謀ったな!」
馬超は、陸遜めがけて突進した。と、突然馬もろとも地面に埋没した。
落とし穴に落ちたのである。
馬超は、周泰の部隊に捕らえられた。

「む、不覚…!」
左翼では、激闘の果てに呂蒙が趙雲に討ち取られた。
ために太郎丸隊の士気は乱れ、左翼は趙雲ひとりのために崩れた。
しかし趙雲は後方が危ういと聞いて引き返した。
右翼の幽壱、祝融は、張苞の部隊を追撃していた。
張苞は洛陽方面へ退いていった。

「よし、突破したか」
私は戦況を知って手を打った。
函谷関は、わが軍が総攻撃をしかけると、さしたる抵抗もなく落ちた。
ただひとり、王平が粘りを見せていたが、荒賢が一騎討ちを所望すると、
単騎で飛び出してきた。
荒賢は2振りの刀を巧みに操り、
激戦すること数十合あまりで王平を馬から叩き落とした。

函谷関を落とし、洛陽に進軍しようとしたわが軍に、驚くべき報が入った。
劉備が、陣中にて病死したというのである。
さらに、北で司馬懿が挙兵し、諸葛亮はその鎮圧に向かったという。
「天運、われにあり…」
死闘だった。
双方、主だった者が数多く死んだ。
しかし、敵軍の内部崩壊により勝つことができた。
普段、運を重視しない私も、このときばかりは天に感謝せずにはいられなかった。
「この勝利を、諸葛靖、於我、紋次郎をはじめ、
 死んでいった者たちに捧げる!」
洛陽郊外の陣中で、私はこみ上げてくる涙をこらえながらいった。

捕虜とした馬超、王平は、私の説得を頑として拒み、
しかも逃がそうとしても逃げず、敗軍の将として斬られることを望んだ。
翠火豊水は説得を受け入れ、わが軍に降った。
翠火とは、旗揚げしたばかりの頃、自ら勧誘に行ったとき以来の再会であった。
「もっと早く私に仕えておれば、このような目に会わずに済んだであろうが」
私は苦笑しながら言った。
「はい」
翠火は、過ぎ去りし日々のことを思い出しているのか、それだけいった。
豊水は、始めからわが軍に降ろうと考えていたようだ。
「哲坊殿の使命のお手伝いをさせてください」
豊水はいった。
私は驚いた。
「何故、そちがそれを知っているのだ?」
「私は昔、河北で雅昭(がしょう)殿とともに過ごしたことがあります。
 その時に、哲坊様のことを色々伺いました」
「そうか…雅昭とともにのう…彼は弘農で待っているぞ」
「始皇帝陵の地下宮殿のことは、私は昔から学んでおりました故、
 お役に立てるのではないかと思います」
豊水は自信ありげにいった。
私は、2人に食事を与えた。

わが軍は、洛陽に入った。
先の戦では徐州からも孫権が出兵しており、見事に2つの城を奪取していた。
私は報告を聞くと、戦場となった函谷関へ戻った。

累々たる数万の屍が横たわる草原を見渡した。
首のない者、手足をもがれた者、見るに耐えない惨状…。
草原には、おびただしいまでの血の臭い、腐臭が漂っている。
見慣れたはずの光景が、なぜかいつもより悲しく私の目に映った。
戦の後は、少なからず、いつもこの気持ちになっていた。
戦は悲しみを生む。しかし、戦を否定してはわが軍の、私の存在理由はないのだ。
私はいつも耐えてきた。

「洛陽は陸遜に任せ、明日は重臣らとともに発ち、弘農で評定を開く」

私は、側近に告げた。

 

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