三國志VII 奮闘記 外伝3

 

洛陽を抜け出るには、それなりの準備が必要だった。
曹操軍は、馬騰軍との抗争激化のため、
極端な厳戒体勢を敷いていたのである。

幸村(ゆきむら)は、紫龍(しりゅう)諸葛音(しょかつおん)とともに、
洛陽の、とある宿に身を置いていた。
哲坊の居る成都へは、まだまだ遠い道のりである。
ある日、ここで諸葛音が、自らが曹操軍の幕僚・荀イクの娘であることを
2人に初めて明かした。
河北出身の諸葛音は、卜占の専門家である老人に育てられ、
その村で助手として生計を立てていたが、
十数年前、その老人が亡くなる直前、諸葛音に、
本当の父親は荀イクであることを告げたのである。
諸葛音は、ずっと河北にとどまり、
以前、餡梨(あんり)という旅商人に譲ってもらった、
荀イクをかたどった人形を大事に飾りながら、
密かに父に会いにゆく時を待っていたのである。

その翌日、3人は旅商人の姿に化けて洛陽郊外へ出た。
街の人々の話によれば、荀イクは現在、劉備軍との抗争の前線、
洛陽からやや東へ離れた陳留の太守を務めているという。
洛陽の太守(曹植)に名乗り出ることも考えたが、
警戒が厳しく、城に近づくのは困難であった。
いらぬ騒ぎを起こせば、命が危ない。
幸村と紫龍は、ひとまず諸葛音を荀イクのもとへ送り届け、
それから蜀を目指すことにした。
諸葛音は、人形を布でくるみ、大事そうに背に負っている。
この人形は、当代きっての芸術家の作品で、今や相当な値打ちがある、
と河北にいた頃に、雅昭(がしょう)に聞かされていた。

宿の主人の助言のおかげで、途中の関所も
怪しまれることなく通り抜けることができた。
洛陽から東へ数十里も来ただろうか。
道は、険しい山道に姿を変えた。

日も暮れてきた。
山の中腹に酒屋があった。
「今宵はここに厄介になるか」
紫龍がいう。
「そうですね」
諸葛音も同意した。
3人は店に入った。
店は粗末な造りだが割合広く、
店内には男の客が1人いるきりであった。

すぐに奥から初老の男がでてきて、2人に席をすすめた。
どうやら、この店の主人らしい。
老いてはいるが、立派な体つきで、どこか風格を感じさせる。
若い頃は、ひとかどの人物だったのかもしれない。
「おやじ、酒と肉をくれ」
紫龍が注文する。
しばらくして出てきた肉と酒を平らげると、
「お客さん、今日はお泊まりになさいますか?」
老人が尋ねた。
「ああ、そうしたいのだが」
「かしこまりました」
3人は客室に通された。
どうやら他に宿泊客はいないようだ。
歩き通しで疲れていた3人は、それぞれ寝台にもぐりこみ、
まもなく眠りに落ちた。

夜半。
幸村は馬のいななきに目を覚ました。
紫龍を見ると、彼もまた寝台から身を起こしている。
3人とも、洛陽からは徒歩でここまでやってきた。
馬は使っていない。
ただならぬ気配を察し、諸葛音を起こすと、幸村たちは寝台を降りた。

店の主人が、血相を変えて入って来た。
「どうしたというのだ」
「賊に、この店が取り囲まれています」
主人は、あわててはいるが、落ち着きのある声で言った。

荷袋から武器を取り出し、残りを背負った。
窓から火矢が射込まれ、柱や家具を焼きはじめた。
どうやら敵はこちらをいぶり出すつもりのようだ。
「裏口に馬がおる。私が表に出て敵を引き付けるから、
 その間に馬で逃げられい」
主人がいった。紫龍は驚いて、
「それでは、貴殿が危ないではないか」
「なんの。これでも、拙者は昔、曹操軍の将軍をつとめた男じゃ。
 この店は、自分で守って見せますわい」
「いや、あなたを見捨ててはいけない」
幸村は玄関の方を見やった。
宿の主人は、幸村を押しとどめるようにいった。
「まだ若いお前さんたちを死なせるわけにはいかん。
 わしは、この通り老いた。数年前に軍から身をひいて、
 細々とこの店をやっておった。
 なに、盗賊の数十人ごとき、蹴散らしてくれるわ」
「ご老人、お名前を…」
遁我利(とんがり)と申す」
老人は、こちらを見てにっこり笑うと、玄関へ歩み寄り、
バン!と、扉を開けた。
十数人の男たちが、店をぐるりと取り囲んでいるのが見えた。
「貴様ら、何が狙いかは知らんが、店を焼かれて黙っておれるか。
 この遁我利が相手になる!
 死にたい奴はかかって来るがよい!」
挑発にのって襲い掛かって来た賊を、店の入口で待ち構え、
1人を一太刀で斬り捨てると、返す刀でまた1人斬った。
遁我利は、幸村に目配せした。今のうちに裏口から逃げろ、と言っているようだ。
「行くのだ、幸村殿。彼の行為を無駄にしてはいかん」
「しかし…」
紫龍は、幸村の腕を掴み、裏口のほうへ向かった。
裏口とは台所を抜け、庭へと出る扉のことだろう。
3人は外へ出た。

馬が1頭、木につながれていた。
賊らは塀の向こうにも、何人か待ち構えている様子である。
幸い、表の騒ぎに引き付けられ、手薄ではあった。
「馬は一頭だ。幸村殿、諸葛音殿を頼んだぞ」
紫龍が馬の手綱を引きながらいった。
「えっ、紫龍殿は…」
「遁我利殿を見捨てるわけにはいかん。彼を助ける」
「紫龍殿………」
諸葛音が不安気な表情で紫龍を見る。
「賊は、諸葛音殿の人形が狙いのようだ。
 夕方、この店に入る前、目つきの悪い男が、
 諸葛音殿の背荷物をじっと見ていた。
 馬で突破すれば逃げられるかもしれん。行かれい」
「紫龍殿。それでは、俺も残って戦う」
「お主は哲坊殿のところに行く目的があるではないか。
 俺は身寄りとてない一介の武人。いつ死すとも悔いはない」
紫龍は、2人を馬に――幸村を前に、諸葛音を後ろに
乗せながらいった。
「あなたを置いていけない…」
諸葛音は涙声だ。
「行け!」
紫龍は、庭先の扉を蹴り開けると、
刀の柄で馬の尻を強く打った。
「ヒヒヒヒーーーーン!!」
馬が、勢いよく走り出した。
幸村は、あわてて手綱を掴んだ。

門を飛び出すと、待ち構えていた数人の賊が
飛びかかって来たが、間一髪、馬の脚は、
彼らが武器を振るうよりも早く、2人を遠くに運んでいた。
振り返ると、紫龍が、賊の1人を斬り倒したところだった。
だが別の1人に反撃され、左腕を傷つけられた。
左腕をかばいつつ、その賊もすぐさま斬り殺す。
賊の加勢が、紫龍を取り囲み始めた。
遁我利はやられたのだろうか。
「紫龍殿ぉ〜〜〜〜!!」
幸村は叫び、手綱を引っ張った。
しかし、馬は止まらなかった。

やがて、後方に何人か、馬に乗った男たちが
追跡してくるのが認められた。
お目当ての人形を持った2人が逃げたのが分かったのだろう。
弓を持った男が、矢をつがえているのが見えた。
幸村は、必死に馬の腹を蹴って走った。
涙がこぼれていた。
拭う余裕はなかった。
諸葛音は、必死に幸村の腰にしがみついている。

 

…どれだけ走っただろうか。
だが、まだ空は暗かった。
やがて、馬が使い物にならなくなった。
賊は、もう追っては来ないようだったが、
幸村は仕方なく、引いても動かなくなった馬を捨て置くことにした。
2人は、いつしか山に入っていた。
どこをどう通ったのか全く覚えていないが、
隠れて夜明けを待つには良いかもしれない。
しかし、夜の山は暗く、深く入れば道に迷うことは明白だった。
手近な岩陰に、2人は隠れた。

眠れぬ夜が明けた。
幸村たちは岩陰を出た。
一体、ここはどこなのだろう。
山道が続いていた。
空腹と疲労が2人を襲っていた。が、道を行くしかない。

ほどなくして、数人の男らに行く手を遮られた。
やはり賊のようだ。
「小僧。その女と、背負っているものを貰おうか」
賊の頭目らしい、帽子をかぶった男はいった。
「断る」
幸村は、諸葛音をかばうように立った。
「ほほう。いい度胸をしてるじゃねえか。
 命が惜しくねえと見た。
 おい野郎共、やっちまえ!」
頭目の隣の男がいった。副頭目だろうか。
「へっへっへ」
その脇に立っていた3人の手下らしき男たちが、
幸村たちを取り囲むように迫って来た。
幸村は、素早く腰から長刀を抜き、身構えた。
こうなったらやるしかない。
賊は頭目を入れて7人いた。
自信はなかったが、諸葛音と人形は守らねばならない。
諸葛音は、蒼白な顔をして、幸村の背に寄り添っている。


「うりゃあ!」
手下の1人が、短剣をふりかざし、斬りつけてきた。
手下が短剣を振りおろすよりも早く、幸村は賊の腹部を刀で
なぎ払った。
「うぐぅ」
賊が膝をついて崩れ落ちる。
「こ、こいつ!」
2人目の手下が、槍で突いてきた。
それを刀で払いのけ、小脇に抱え込む。
槍をつかまれ、動けなくなっている賊の左腕を、幸村は
斬り落とした。
「ぎゃあああ!」
腕を斬られ、悲鳴をあげる賊を幸村は右足で蹴り飛ばし、
槍を奪った。
3人目が、すぐ側に迫っていた。
3人目は、長剣を持っていた。
左肩に痺れが走った。
かろうじてかわしたつもりであったが、
鋭い切先を肩に受けてしまったらしい。
痛みをこらえ、幸村は持ち替えた槍で相手の剣を弾き飛ばし、
腹目がけて突き出した。
3人目は、槍の一撃をまともに受けて、うつ伏せに倒れた。

「きゃあ!!」
振り向くと、賊の手下のうち残った2人が、諸葛音に迫っていた。
幸村は、そのうちの1人をめがけ、手に持っていた槍を投げつけた。
ドスッ。
背中を貫かれた手下の1人が倒れた。
「お、おのれ!」
残った1名は、諸葛音を捨ておいて、幸村に躍りかかった。
武器のない幸村は、手下の長剣の攻撃をかろうじてかわしはしたが、
岩壁に追い詰められた。

「ぐえっ!」
幸村をあわやというところまで追い詰めていた手下が突然倒れた。
諸葛音が、地面に落ちていた刀を拾い上げ、背後から手下を
斬ったのである。

手下をすべて倒された賊の頭目2人は、驚きの表情を浮かべていたが、
「おのれ、よくも!」
腰から長剣を抜き、1人が飛び掛ってきた。
副頭目の方だった。
幸村は、死んでいる手下の背から槍を抜き取り、
これを迎え撃った。
さすがに、頭目格だけあって、手下よりは腕が立つ。
しかし、幸村は巧みな槍さばきで、副頭目を手玉にとった。
副頭目の武器を弾き飛ばし、喉元に槍を突きつける。
それを見た頭目は、武器を構えたまま動けないでいる。
「参ったか!」
「ま、参った。許してくれぇ」
副頭目は情けない声をあげた。

「こ、小僧。貴様、その武芸は誰に習ったのだ…」
頭目は、ごくりと喉を鳴らし、幸村に尋ねた。
「河北の呂布様、それに、伯虎(たけとら)殿と、紫龍殿。
 で、でも…人を殺したのは初めてだ」
副頭目は、幸村の一瞬の隙をついて、
頭目の方に転がり戻った。幸村は捨ておいた。
「りょ、呂布だと…!?」
頭目が驚きの表情を浮かべた。

「お頭!手を貸しますぜ」
幸村と諸葛音は息を呑んだ。
賊の新手、十数人が、頭目たちの背後に現れたのだ。
幸村は、槍を構え直したが、
これだけの人数を、諸葛音を守りながら戦うのは無理と悟った。
絶望的な状況である…。

「待て!たった2人に5人が殺られたんだ。
 この小僧は、俺様が殺る」
頭目が、手下どもに叫んだ。
そして、自ら槍をとって幸村に迫ってきた。
どうやら、副頭目よりはずっと腕が立つようだ。
幸村も、槍を構えたが、疲労に加え、肩の傷が痛む。
じりじりと後退する。
頭目が、にじり寄る…。

「セバス!雨山!いい加減にしろ!!」
どこからともなく、声が飛んだ。
気配に、左頭上を仰ぎ見ると、一隊の軍馬が
こちらを見下ろしていた。
「か、夏侯惇様…!」
賊の頭目は、ひどく狼狽した様子で軍馬の中央にいる将を見上げた。
夏侯惇と呼ばれた男は、周りの兵らに待つように指示すると、
数人の男を引き連れてこちらに下りてきた。
「貴様ら、いつまで盗賊の真似をしたら気が済むんだ!」
夏侯惇は、賊らを一喝した。
屈強そうな男だった。片目を、黒い眼帯で覆っている。
その声に、頭目はじめ、賊らはすっかり萎縮してしまったようだ。
「は…は…。こ、これは面目ねえ…」
頭目と副頭目は、すっかり戦意を喪失し、うなだれている。

「ん?…これは、この子らがやったのか?」
「へ、へい…」
夏侯惇は、幸村の足元に転がっている5つの屍に目をとめた。
「なかなか出来るようだな。名は何という?」
いきなり話しかけられて戸惑いはしたが、どうやら助かったようだ。
「幸村と申します」
「そうか。すまなかったな。わしは、曹操軍の夏侯惇。
 この2人は、セバス雨山という者で、同じく曹操様に仕えている
 男たちだが、昔の癖が抜けないらしく、時々こうやって
 かつての仲間を集め、旅人から金品を略奪しやがるんだ」
2人はしょげ返っている。
「怒りは収まらぬだろうが、こいつらを許し、
 ひとまず陳留の、わしの城に来ぬか?怪我もしているようだしな」
幸村は考えていた。
この男は信用できそうだ。しかし、ついて行っても大丈夫だろうか…。
目的地の陳留に連れていってくれると言っているが…。
諸葛音を見ると、憮然とした表情を浮かべている。
当然だろう。殺されかけたのだから。
それを察したのか、夏侯惇は馬から下りて、歩み寄ってきた。
「わしの管理が行き届いておらぬ故の失態だ。
 どうか許してくれ。おい、お前ら!」
セバス、雨山は慌ててこちらに来て、土下座した。
「悪かった。許してくだされ!」
その様子に、幸村は命を狙われたことも忘れ、
思わずプッ、と噴き出した。

幸村と諸葛音は、夏侯惇の兵らに保護され、無事に陳留へ
たどり着いた。

 

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