1560年、駿河、三河、遠江を支配する今川義元が2万5千*という大軍をもって、尾張に出陣。それを迎え討つ信長は今川義元が桶狭間山に布陣しているという情報を得、桶狭間山に進軍。その途中大雨が降りだした。ドラマ的*に描かれるとここで奇襲だが、実際の信長は晴れたのを見計らって攻撃命令をだした。そして、激戦の末、今川義元の首をとったのである。
*2万5千
この数字は正確にはよくわからん。『信長公記』では4万5千だそうだ、でもそんなにいないだろうと思われる。
*ドラマ的
よくあるドラマだと豪雨の中、山頂から今川軍に突撃しているがあれはどうやら間違いのようである。
桶狭間の戦いの細かい内容は諸説色々あり、おめぐ自身もまだ分からないことがたくさんあります(汗)。