お館様
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織田信長の家紋

現代では一般に、家紋は一家に一つですが、戦国時代には家紋をあげたり貰ったりする事も多く、いくつも家紋を持っていました。なので、ここでは織田信長の家紋をいくつか紹介しようと思います。

木瓜(織田木瓜)
木瓜(織田木瓜)
織田信長の家紋の中ではこれが一番有名だと思います。The Best of 織田家といいますか、まさに織田家を象徴する家紋です。今でも残されている伝信長の甲冑や、秀吉に下賜した陣羽織にはドーンとこの家紋がついてます。ちなみにこの家紋、元々は尾張守護の斯波氏より拝領したものだそうです。


揚羽蝶
揚羽蝶
揚羽蝶の家紋は、平氏の家紋です。この家紋を使った理由としては「源平交代思想」※によるものと考えられます。信長自身「平信長」と名乗っていた事もあるので、源氏の流れをくむ室町幕府の次は平氏の自分が!と考えていたのではないでしょうか。(その前は藤原信長なんてのも名乗ってますが(笑))
永楽通宝(永楽銭)
永楽通宝(永楽銭)
永楽通宝は中国の永楽帝の時代に作られ、日本に輸入されたものです。織田信長が旗印に使った事は有名。物流の基軸であるこの通貨を用いた事は、楽市楽座の施行や、物流拠点の堺、近江の大津・草津を押さえたように、経済に重点を置いた信長ならではといえると思います。


二つ引両
二つ引両
二つ引両は足利氏の家紋で、信長の助力で将軍になった足利義昭より、桐紋と合わせて拝領しました。
桐紋
桐紋
足利義昭から拝領した家紋です。 元々桐紋は皇室の家紋。これを足利氏が拝領したもので、武家として名誉ある家紋といえます。


十六葉菊
十六葉菊
皇室より拝領した家紋です。 十六葉菊は元々、後鳥羽上皇が愛用したことにより皇室の家紋に定着していったようです。
無の字の紋
無の字の紋
無の文字は禅(仏教)から来ています。元々宗教を冷めた目で見ていた織田信長ですが、フロイスの書いた「日本史」の中に“若干、禅宗の見解に従う”という記述があります。この家紋はそれを裏付け、信長の意外な一面が伺えます。

※源平交代思想…源氏と平氏が交互に天下を取るという考え。公家を中心に信じられていたという。

以上、紹介しましたが、このように家紋一つとってみても、信長の足跡が伺えるというのはなかなか面白い事です。 他の家紋もその背景を想像してみると、また新しい発見できるかもしれませんね。


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